早稲田大学在学中にセクシー女優「渡辺まお」としてデビューし、2022年に引退をした神野藍さん。引退後は会社員として働く傍ら、文筆家としても活動している。
そんな彼女がAV女優時代の「私」を赤裸々に綴った衝撃のエッセイ『私をほどく AV女優「渡辺まお」回顧録』を上梓。一部抜粋して、AV女優をやめたいと思ったきっかけを紹介する。(全2回の1回目/続きを読む)
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撮影中に心がポッキリ折れた
季節は一巡し、気がつくと女優になって二度目の夏がやってきた。撮影場所がホテルなどでない限り、うだるような暑さに苦しめられていた。ただでさえ、何もしていなくても暑さでじりじりと体力が奪われるのに、外でのロケが多い日なんかは本当に最悪であった。でも、そんな状況でも仕事は迫ってきて、休む暇を与えてくれなかった。大学生としての最後の夏休みは寝て起きて仕事の繰り返しで、「卒論、進めないとなあ」と漠然とした思いを抱えながら、埋まっているスケジュールを淡々とこなしていく日々であった。
7月6日、乳白色のどろっとした液体にほんのわずかな赤が混じっていた。よく見るとベッドシーツにもぽつんぽつんと同じような色のシミが付着していた。生理のような量ではないし、確認しても外側が切れているわけでもなかった。その程度のことならば撮影の妨げにならなかったので、私を含め、その場にいる誰もが気に留めていなかった。家に帰る頃には赤いシミのことなど忘れ去っていた。
8月3日、お昼に出たお弁当を食べている最中におえっとなる感覚があった。感覚があるだけで実際に吐くまでには至らなかったが、お弁当は半分以上残してしまった。あんなにお腹がすいて、「今日のお昼ご飯何だろうな」なんて心を躍らせて待ち望んでいたのに。心配させたくないから「夏バテかな」なんて現場ではごまかしてみせたけど、撮影を終えて帰宅してみると、何の問題もなくすんなりご飯を食べることができた。
8月12日、「給料なんていらないから、今すぐこの場から帰宅させてほしい」と思うことがあった。これまで「辛いけど何とか終わらせよう」と思うことは何度かあったが、撮影中に心がポッキリ折れたのは初めてだ。私を含めて現場にいる人間に細かく指示を出すわりに、自分に対してはかなりルーズな監督に、その監督の指示をまったくもって聞かずに動く男優という組み合わせで、現場のムードは険悪なものになっていた(その2人以外のプロデューサーやメイクさん、技術さんは本当に良い人たちで、私側の立場になって励ましてくれていた)。