早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビューし、2022年に引退をした神野藍さん。引退後は会社員として働く傍ら、文筆家としても活動している。
そんな彼女がAV女優時代の「私」を赤裸々に綴った衝撃のエッセイ『私をほどく AV女優「渡辺まお」回顧録』を上梓。一部抜粋して、AV女優になって失ったものについて紹介する。(全2回の2回目/最初から読む)
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「セックスは大事な人とする行為だよ」と…
「俺の好きなことじゃなくて、○○の好きなこととかやってほしいことやろうよ。教えて」
ああ、その質問を投げかけられていることが一番嫌で、反吐が出そうになっていると、頭が良いのに何も気が付いてないのかな。もう今更好きなことなんてない。何が好きかなんて分からないし、とっくの昔にそんな感情はどこかに捨て去った。私の気持ちになんて立ち入るな。私のことなんか構うな。
そんな棘のある言葉を目の前にいる無防備な存在に突き刺すほど、私は正直な人間ではない。隣で横たわる身体にぴったりと顔をくっつけて、「何でそんなこと聞くの。何やってても好きだよ」と上ずった声でなだめようとする。決して目を見て話すことはできない。今目を合わせたら、すべてを見透かされてしまいそうだから。
大人たちは言う。「セックスは大事な人とする行為だよ」と。
私はこの教えがずっと腑に落ちなかった。その日に初めて会った相手だって、信頼できるかもと思った相手だって、みんな私を見て、息が上がり、熱を帯びた目で獣のように身体を暴いてきた。その一連の行為に「私が大事か」なんて問いは浮かんでとがいないだろうし、目の前にいる人たちは誰も私に対して「大事にしなよ」なんて咎めることはしなかった。
私も罪悪感などを含め負の感情を抱くことはなかった。相手に対して特別な愛情を持っているかというよりも、「する」か「しないか」、「できる」か「できないか」の問題だと考えていた。そう気がついた頃には、私の中でセックスは愛情の表現方法ではなくなっていた。