「セックス、完璧だよね。つくりものみたい」と…
しかしながら、その行為を何度も繰り返しているうちに、カメラが回っていないところでも同じことができるようになった。セックスの最中に真っ先に浮かぶことは「こんな風にやられたいんだろうな」とか「いつこの言葉を言おうかな」ということばかり。
そういった思考が身体に沁みついているのもあるが、元々人のことをじっと観察するタイプであったし、相手が期待するであろうことを感じ取るのは得意な方だ。台本が無くても同じようなことをするのは簡単で、どんなに好きな相手だろうが、どんな状況であろうが、相手の理想になりきってセックスしてしまう癖は未だに抜けていない。カメラなんて存在しないはずなのに、自分をセックスに参加している当事者だと思うことができないのだ。
過去に「セックス、完璧だよね。つくりものみたい」と言われたことがある。きっと相手にとっては悪気のない褒め言葉であったが、私にとっては「自分のセックスはまがい物なんだ」と突き付けられた気分であった。今もそこから抜け出せてはいない。引退したときは愛しい相手とだけセックスしていれば治ると思っていたが、案外そうでもないらしい。擦り減って鈍化した感情はなかなか戻ってはこない。恐ろしい話だ。
大事なものは失ってから気づく
SNSを眺めていて、「若いうちにコスパ良く稼いだ方が良い」という考えでお金を稼ぐ手段としてセックスを用いている女の子たちを見ていると、昔の自分とどうしても重ね合わせてしまう。「実体験の伴わない大人の薄っぺらい言いつけを守ってもしょうもない。自分がすべて正しい」という思い込みに浸っているうちは、何も考えずに無鉄砲に突き進んでいけるだろう。すべてが終わった後に、何も思考を働かせないほどの愚鈍であるか、もしくは自分で落としどころを付けられる覚悟があるのならば止めはしないが、私は手放しに勧めることはできない。
大事なものは失ってから気がつくことが多い。
でも、気がついた頃にはもう取り戻すことができないほど自分が遠くまできてしまっていて、どうしようもできない。一度粉々になったガラスを継ぎ目なく完璧な形に戻すことは不可能だ。感情とかそういった類のものも同じである。
私も昔の自分に言い聞かせてあげたいけれど、きっと言うことは聞かないだろう。そういう人間だって私が一番理解しているし、何より身をもって経験して良かったと思えているから、それでいい。そう思うしかない。
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