「その日のセックスのすべてが悲惨だった」

 その日のセックスのすべてが悲惨だった。大したことないサイズなので、本来なら問題なく挿入できるはずなのになかなか入らない。入ったとしてもただただ感じるのは、痛みだけであった。何とか鈍痛を乗りきってカットがかかると、身体に纏わりつく不快感を一刻も早く拭い去りたくて、一目散にシャワーに駆け込んだ。シャワーの温度を上げている最中、親しい人に一通だけメッセージを残した。

「もうこんな現場、はやくかえりたい。もう、むりかも」

写真=佐藤亘/文藝春秋

 私にとってセックスはすごく簡単なことだった。元々そこまで貞操観念が強いわけでもなかったし、「セックスは心の底から好きな相手としないといけない」なんて考えたことはなかった。好きじゃない相手、もっと言うならばその日初めて会ったよく知らない人でも、仕事ならば無防備に身体を明け渡すことができた。それに加えて、自分を役に落とし込むのも得意な方で、役によりけりだが、どんな相手でも「好き」と思って接することができた。 

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 だからこそ、 女優という職業に向いていた。しかし裏を返せば、それができなくなったら女優としての人生は終わりだと分かっていた。 

 ここ2カ月、自身の身体が発するサインによって、もう自分が女優に適していないことは薄々感じていた。何よりもこのまま続けたところで、お金以外の対価を得られる未来は見えなくなっていた。 

エッセイ『私をほどく AV女優「渡辺まお」回顧録

 徐々に「引退」を現実のものとして意識するようになっていった。 女優を辞めることは簡単だ。契約上辞めることに対して何か制約がついているわけでもないので、私が「辞めたいです」と一言伝えさえすれば良い。しかし、その一言がなかなか言えなかった。理由は現場に愛着があるとか、ファンが恋しいとかの可愛いものではない。 

 私が「渡辺まお」でなくなること、ただの「私」に戻ることがたまらなく怖く、受け入れることができなかったからだ。「渡辺まお」になることは「私」にとって大きな決断で、そしてこれまでの人生との決別を意味していた。以前までの人生とは違い、 水を得た魚のように生きている気がしていたし、ここからが自分の人生の始まりであるとも思っていた。