――身長はいつ頃から大きくなり始めたんですか。
ネトーチカ 7歳の時に病気になり、約1年間を病院と自宅学習で過ごしたんです。病院ではとても強い薬を飲んでいて、その薬は体を速く成長させるものでした。病気から回復した後に成長し始めて、12歳の時には身長が165センチメートルになりました。身長が高いのには遺伝もあると思います。父は身長が190センチメートルだったんです。
小学校の頃は男子を合わせても学年で4番目くらいには身長が高かったです。当時は「キリン」「エッフェル塔」などと呼ばれてました。
学生時代、モデルにスカウトされたことも…
――学生時代はモテましたか?
ネトーチカ 母がとても厳しかったので、高校時代は学校と家の往復だけで、毎日勉強ばかりの生活でした。恋愛とは無縁な学生時代でした。
それに中学校から大学までは理系のコースで、周りの男性はほとんどオタクだったんです。みんな女性に興味がなく、ゲームにばかり熱中してました(笑)。当時の私の楽しみはオタクサークルで友達と話すことでした。私たちは「攻殻機動隊」など日本のアニメについて話すのが好きで、お金を持っている子たちは、日本のアニメ関連の商品を買いました。「DEATH NOTE」を真似て、デスノートに殺したい人の名前をみんなで書いたりしていましたね(笑)。
当時の私のクラスは30人くらいだったんですけど、そのうち女の子は3人だけ。私だけがオタクに優しかったので、サークルでは人気がありました(笑) 。
――学生時代にはモデルにもスカウトされたそうですね。
ネトーチカ スカウトされたのは大学生の頃です。日本の大学と違って、ウクライナの大学は誰でもキャンパスの敷地の中に入ることができるんです。だからスカウトマンが大学のロビーで、若い子たちをチェックしていました。
ただ、ソビエト時代を生きてきた両親にとって、モデル業はあまり良い印象を持たれていなかったので、父は私がモデルになることに強く反対しました。ウクライナとも違うアルメニアの伝統的な価値観を大切にしていた父は、控えめであることが大事だと考えており、ミニスカートなどの派手な服装を避けるようにと言われていました。

