ロシアの侵攻が始まった日

――しかし2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻します。事前にあのような事態が起きることをウクライナの人は想像していたのでしょうか。

ネトーチカ ロシアの侵攻には驚き半分、予想もしてはいました。海外メディアでは緊張が高まっているという報道がありましたが、当時はまだ現地では日常が続いていて、誰も本格的な侵攻が起こるとは信じていないような空気もありました。 

 侵攻があった日は朝5時頃にスイスの友人から電話がかかってきました。なぜ、こんな朝早くに電話してくるのかと思って出ると「大丈夫? ウクライナが爆撃されているよ」と教えてくれたんです。

ADVERTISEMENT

©細田忠/文藝春秋

 それから、みんなパニックになって、どこに逃げるべきか、何をすべきかを考え始めました。私も母に電話をして「逃げなきゃ」と伝えました。明日何が起こるかわからなかったからです。そこからオデーサに近い、隣国のモルドバに避難しました。ただ逃げられたのは女性だけです。男性は国外に出ることができませんでした。

 モルドバに行くと、小さなホテルはウクライナからの避難民で満室状態でした。宿泊先を見つけるのが非常に困難で、ホテルはウクライナ人が来るからと料金をとても高く設定していました。

――それはひどいですね……。モルドバにはどのくらいいたのですか。

ネトーチカ モルドバには1週間ほど滞在し、一旦オデーサに戻りました。しかし4月に入るとロシアの爆撃がとても激しくなり、自宅から1キロ先の場所も爆撃されるようになりました。今でも、近所が爆撃されて自宅のガラスが割れたりしています。 

 毎日空襲警報が鳴り、朝4時に防空壕に避難する生活が続きましたし、心配で眠ることもできません。本当に異常な状況で、人々の精神状態も大変でした。ほぼ毎日攻撃を受けていたので、港での仕事もなくなり、辞めざるを得ませんでした。貯金もどんどん減っていき、生活は苦しくなっていきました。

次の記事に続く 「セクシーに見えちゃうのが、大丈夫かなって」“デカ女”でバズった身長180cmのウクライナ人コスプレイヤーが日本に来て“困ったこと”

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。