葉月 副作用で太ることがどうしても受け入れられなかったのでステロイドではなく、SADBE療法を試しました。頭皮を人工的にかぶれさせることで発毛を促す治療法なんですが、なかなか結果が出ず、途中で断念してしまいました。
だから、当時はずっとウィッグをして働いていました。でも、ウィッグは暑くてどうしても蒸れてしまうので大変でした。仕事の出張先で同僚と同室になったらどうしようという不安もありましたね。
マリンスポーツやレジャーに誘われても参加できないもどかしさなど、生活で制限しないといけないこともありました。ただ、そこは自分なりに折り合いをつけて、最終的には同僚や友人にも脱毛症であることを伝えられるようになっていました。
絶望せずにすんだのは「アメリカ留学のおかげ」
――髪の毛がないことは、見た目の問題としてメンタルに響くこともありますか?
葉月 中学生などの多感な時期に髪の毛を失っていたら、おそらくパニックになっていたと思います。でも私の場合、脱毛症になる前の19歳のとき、アメリカの学校に通っていた経験が価値観を大きく変えてくれました。そのとき、友達から「アルビノの子がいるよ」って紹介されたことがあったんです。
――皮膚や毛の色が白くなる病気ですね。
葉月 はい。しかもその子の紹介の仕方が「全身真っ白で、とってもきれいな子だよ」って、すごくポジティブだったんです。芸術系の学校に通っていたことも大きかったと思いますが、個性としてお互いを受け入れていました。頭を坊主にして、大きなドラゴンのタトゥーを入れている女の子もいて、とにかくかっこよかったです。
あの頃の経験を通して、「異質なものは美しさにつながる」と教えてもらいました。だから、26歳で髪の毛が抜けた時も、髪の毛がないこと自体には、それほど絶望を感じませんでした。
デート相手から「付き合うのは難しい」と言われたことも
――個性として、認め合う経験を積んだというのが大きかったんですね。
葉月 とはいえ、日本に戻ってきてからは、恋愛面で不安を抱えていました。髪の毛がないことで、見た目だけで断られるんじゃないかという思いがあって。恋愛からは遠ざかっていたんです。結婚も出産も、自分には無理だと長い間諦めていました。
でも、35歳くらいの時に、これからの人生をどう生きていきたいかと考えたとき、「愛する人と結婚したい」という思いがあることに気付いたんです。そこで、もう一度恋愛に挑戦しようと、婚活を始めました。レストランやバーに行ったり、マッチングアプリも始めました。
――すごい行動力ですね。
葉月 最初は脱毛症や髪の毛のことを気にせずに、気になる人と会ったり、デートを重ねたりしていました。でも、やっぱり関係が進むにつれて、脱毛症のことを伝えないといけない場面が出てくるんです。
――改めて言うのも難しいですよね。
葉月 実際、脱毛症のことを言わないまま振られてしまった人もいますし、言ったことで疎遠になった人もいました。脱毛症のことを話したときには、「全然気にしないよ!」と言ってくれたけど、その後にフェードアウトされたこともあります。直接、「付き合うのは難しい」と言われたこともありました。
