この新屋敷が八木のモデルだと思われるが、八木の信太郎という名前、公式サイトの人物紹介に「戦後、嵩と思わぬ再会を果たし、のぶと嵩の人生に大きな影響を与えるようになる」とあることから、有名な経済人がモデルでは? と噂されている。
その人物とは、戦後に、やなせたかしの処女詩集『愛する歌』を出版し、雑誌『詩とメルヘン』も刊行したサンリオの創業者・辻信太郎だ。現在97歳で健在、サンリオ名誉会長である辻は、やなせより8歳下で、兵役経験はないものの、地元の甲府市で空襲に遭った経験から、キティちゃんなどのキャラクタービジネスで成功した後も、戦争反対のメッセージを発信している。
軍隊は学歴社会、「大卒」は試験を受けて上官になる
ちなみに、幹部候補生とは一定以上の学歴がある兵を短期間の訓練で士官や下士官に養成するための制度のこと。軍隊では召集されて入営したときは全員が最下級で平等だが、その処遇は学歴によって大きく変わると説明されている。
ドラマの中で八木が一目置かれていたのもインテリゆえだが、意外にも軍隊には学歴社会の側面もあったのだ。
戦争が激化すると、やなせたちは中国へ派遣され、いよいよ「敵前上陸」として台湾の対岸である福建省に上陸する。ところが、アメリカの攻撃目標は沖縄で、最前線で進軍を阻むはずだった、やなせの部隊は空振りとなった。
結局、戦死を覚悟していたものの、「何かの見えない力(父の霊ではないかと自伝では記している)」に守られ、戦闘になることなく、芋畑の中に陣地を設営。現地語の通訳を連れて、紙芝居を作って村をまわるようになった。これが各地で大ウケで、通訳の中国語の中に日本軍の悪口みたいなものも入っていたのではないかと、やなせが推測するほどの盛り上がりとなった。
いよいよ戦況が悪化し、上海に向かって1日40キロの行軍
1945年5月、日本軍は部隊の全てを上海に集め、決戦に備えることを決定する。やなせの部隊は太平洋岸の山岳地帯を上海にむかって1日平均40キロの大移動をする中、何度か中国軍の襲撃を受けた。命を落とす者もいたし、負傷者を置いて進まなければならないこともあった。