「日本は……敗けた」

やなせは正直ほっとしたと言う。二度と帰れないと思っていた故国に帰れるからだ。

食糧は敗戦後全部放出され、「どうせ没収されるなら食べてしまえ」という理由で、食べきれないほどの美食が毎食並ぶようになった。飢えていたときには食べさせてもらえなかったのに、苦しくなるほど食べ、さらに腹をすかせるために付近を走って、また無理やり食べるという理不尽な経験である。

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敗戦と同時に、部隊の内部も様変わりした。将校は自信を失い、隊の中心であった武闘派は影が薄くなり、文化的な兵隊が脚光を浴びる中、やなせは壁新聞を発行し、演劇大会では脚本・演出を担当。歌も作った。

やなせたちが中国から帰国したのは年明けだったが、自身の戦争体験について、80歳近くになるまで書いたり話したりすることはなかった。故郷を遠く離れてなくなり、遺骨も帰らない兵士や、命を落とした銃後の市民、上官の命令で捕虜や民間人を手にかけ、戦争犯罪人になってしまった者たちと違い、やなせは本格的な空襲を知らず、敵影も見たことなく、敵に実弾を発射したことも一度もなかった。そうした自分が戦争を語ることに「ある種の恥かしさ(※原文ママ)」を感じたのだと、『アンパンマンの遺書』には綴られている。

正義が逆転することを目の当たりにし「アンパンマン」を生み出す

また、戦争の体験は、やなせのその後の人生に大きな影響を与えた。そこで得た信念が「正義は逆転する」というものだ。

何のために生まれてきたの?』では、自身の経験をもとに、こう振り返っている。

「僕らが兵隊になって向こうへ送られた時、これは正義の戦いで、中国の民衆を救わなくちゃいけないと言われたんです。ところが戦争が終わってみれば、こっちが非常に悪い奴で、侵略をしていったということになるわけでしょう(以下略)。ようするに、戦争には真の正義というものはないんです。しかも逆転する。それならば逆転しない正義っていうのは、いったい何か? ひもじい人を助けることなんですよ。そこに飢えている人がいれば、その人に一切れのパンをあげるということは、A国へ行こうが、B国へ行こうが、正しい行い。だから、ごく単純に言えば、その飢えを助けるのがヒーローだと思って、それがアンパンマンのもとになったんですね」

かくして自他共に認める「軟弱ボーイ」は、戦争で数々の理不尽を経験し、理不尽によって奪われた命や傷つけられた人々を目の当たりにし、シンプルで揺るぎない「逆転しない正義=アンパンマン」を生むのだ。

田幸 和歌子(たこう・わかこ)
ライター
1973年長野県生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーライターに。ドラマコラム執筆や著名人インタビュー多数。エンタメ、医療、教育の取材も。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など
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