また、ドラマでは戦争に向かう危うさとして、軍隊ではビンタや鉄拳制裁も当たり前で暴力に支配され、戦争とともに全体主義が横行し、「個」が踏みにじられていく様が描かれているが、これはやなせの次のような記述にも見ることができる。

「昔の軍隊教育というのはひとつのタイプで統一されていて、それは一種のファシズムに違いなく、リンチのやり方までほとんどおなじなのにはおどろく。こうして否応なしに洗脳されて軍人精神を叩きこまれる。学歴とかインテリジェンスとかはいっさい通用しない。それはむしろ小気味いいくらいで、ぼくは孤独なエイリアンだった」(『アンパンマンの遺書』岩波現代文庫)

「ぼくは三年兵、新屋敷上等兵殿の戦友にされた」

また、軍隊の中の独特のヒエラルキーや待遇格差については、たびたび言及されており、『アンパンマンの遺書』の中でも「学校では馬鹿にしていた少佐がここではまるで雲の上の人で、遠くからはるかに顔を配するだけ」だったこと、一番怖いのは上官よりも「古兵」で、特に進級できない古兵が初年兵を眼の敵にしていじめることが横行していたこと、「戦友」と称して隣のベッドの初年兵が上等兵の整理整頓、靴磨き、銃剣の手入まで全部やらされていたことなどが語られている。

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そんな中、八木のヒントになっているかと思われるのは、以下の記述だ。

ぼくは新屋敷上等兵殿の戦友にされた。三年兵で鬼屋敷と呼ばれて恐れられていたが、なかなかの快男子で、特に馬の扱いに関しては優れていた。手先が不器用なぼくは、とても上等兵殿の世話をするどころではなかったが、馴れぬ手に針をもって襟布を縫いつけたり、上等兵殿の靴下や下着の洗濯をした。上等兵殿が風よけになって、いくらかリンチの嵐はふせげた」(『アンパンマンの遺書』)

八木と名前が同じサンリオ創業者もモデルのひとり?

幹部候補生の試験を受けるよう勧めたのが、この新屋敷上等兵だったかは記述の範囲ではわからないが、上官から試験を受けるよう勧められたことで、やなせも試験を受けることを決める。