読者は晴明や博雅と共に生きているかのような感覚に
夢枕獏『陰陽師』は、語られる物語そのものが魅力的であることは言うまでもないが、筋書きだけを並べ立てても作品の全体像を知るには程遠い。晴明と博雅の間にある紐帯、二人が見るであろう闇の深さ、人間というものが宿命的に背負った哀しさ。物語はそういうものを抱え込んでいる。その豊かさを、想像力の網によって受け止めることで、読者は晴明や博雅と共に生きているかのような感覚を味わうことができるのだ。
それゆえ浪曲なのである。
啖呵と節のバランス、そして浪曲師と曲師との丁々発止のやりとり。そういったものが読者に平安京の夢を見させてくれるものと信じている。
講談・落語・浪曲は日本の三大話芸と呼ばれる。だが近世にはすでに確立されていた他の二つと比べ、浪曲は後発である。成立したのは明治になってからなのだ。中世の放浪芸に起源を持つさまざまな芸能が統合されて浪花節/浮かれ節という芸の形ができ、やがて整備されて現在の浪曲が完成した。
後発ゆえ、さまざまな先達の芸に学んできた歴史がある。悪く言えば、節操がない。語り芸の代表格である浄瑠璃を始め、先輩の講談や落語、小説や戯曲、自分よりも後輩の映画など、ありとあらゆるものを取り込み、浪曲化してきた。古典芸能である前に大衆芸能なのである。
だから一部の粋人ではなく、大衆から愛された。講談・落語は都市部の寄席で口演されるものだったが、浪曲は日本全国をまわった。人気浪曲師は一年のうち自宅にいられるのが数日しかなかったほどだったという。数百人から数千人規模の劇場で口演することも多く、よいマイクのなかった時代には生声でそれをこなした。土地の人々は、年に数回やってくる浪曲師を心待ちにしたのである。この巡業形態が戦後になって、二つのものに引き継がれた。歌謡コンサートと、プロレスだ。

