文字で綴られた文章による想像力の限界に挑戦

 夢枕獏『陰陽師』の浪曲化は文学的事件なのである。

 来る7月12日(土)、『陰陽師』第一話「玄象といふ琵琶鬼のために盗らるること」が、浪曲師・天中軒すみれ、曲師・広沢美舟のコンビにより初めて浪曲化、上演される。初演は小田原三の丸ホールである。やはり作者のお膝元である小田原でお披露目をしたい。1ヶ月後の8月9日(土)に東京都北区の北とぴあペガサスホールで2度目の口演が行われる。

 1986年に書き始められた『陰陽師』シリーズは、長く続けられるうちに物語が成長し、夢枕獏のライフワークといっていい作品となった。平安京の闇に、陰陽師・安倍晴明と天才音楽家でもある公卿の源博雅が挑む、現代を代表する伝奇時代小説である。

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 これまでも映画や舞台など数々のメディアミックスが行われてきた。夢枕版ではないが、安倍晴明を題材にした講談も存在する。三大話芸の一つである講談だ。

 ではなぜ、浪曲なのか。

 この芸の本質が、文字で綴られた文章による想像力の限界に挑戦することにあるからだ。

夢枕獏『陰陽師』

 現在においては生で、いや録音でも聴いたことがない人が大多数だろうと思う。浪曲は、啖呵と言われる台詞と、節と呼ばれる歌謡部分で構成される語り芸である。浪曲師の節と啖呵に合わせて曲師が三味線を弾く。これだけなら会話の合間に歌が挟まるミュージカルと同じだ。だが、浪曲の三味線には楽譜に相当するものがない。曲師は、浪曲師を凝視しながら、その口演に合わせて最もふさわしいフレーズを弾いていく。

 悲しいときは浪曲師と共に曲師も泣き、可笑しいときは物語と共に三味線も笑う。

 それが浪曲なのである。