「その美しいお顔は邪魔も邪魔、いつかそのお顔に自分が食われちまいますからね」このセリフを吉沢亮はどう感じただろうか。筆者は無性に気になって、「クロワッサン」(マガジンハウス)で取材をしたときに聞いてみた。少年時代の場面で吉沢本人が演じていないとはいえ、喜久雄の生涯に極めて重要な影響を及ぼす場面だと思ったからだ。すると、吉沢は躊躇なく「僕自身も顔の印象が強すぎると言われたことがあります」と答えた。「しょうがないじゃん、これが僕なんだからと思って、それほど葛藤はなかったのですけれど(笑)」と続け、「それでも20代のときは、自分の印象を消して役そのものになりきりたくて、体重を増減させるなどの工夫をしていたこともありました」と続けた。

 6月1日放送の『日曜日の初耳学』(TBS)のインタビュアー林修のコーナーに吉沢が出たとき、「国宝級イケメン」の殿堂入りを果たしていることから、自身の顔の美しさをどう思っているのかと質問されていた。そこでは「俺、もっとできるのになんで外見のことばかり言われるんだ」と顔のことばかり言われることに忸怩たるものがあるような回答をしていた。顔の良さに甘んじることなく実力で評価してほしいと思うのも無理はない。だが、大丈夫。先述したように、いまや吉沢亮は美しさとうまさが二重螺旋のように絡み合っている俳優だ。『国宝』でそれが最高の形で発揮された。

吉沢演じる喜久雄が舞台に立つシーン 『国宝』公式Xより

まっすぐ、真摯に…映画と重なる「無心の強さ」

 吉沢は撮影の1年以上前から歌舞伎の稽古をはじめ、痛みを伴うほどの肉体を駆使する表現を身につけていった。実際の歌舞伎俳優は、子どもの頃から鍛錬を積み重ね、ほぼ一年中、劇場で公演をやり続けているから、ちょっとやそっとでは追いつけるはずがない。『鷺娘』で有名な海老反りも最初は1ミリも反れなかったと筆者のインタビューで語っていたが、それも見事に演じている。ただ観客の心を震わすのは、その形そのものよりも、吉沢が歌舞伎俳優・喜久雄に肉薄しようとする気迫である。

ADVERTISEMENT

 原作小説には、喜久雄の顔のきれいさのディテールは描写されていない。印象的なのは目についての記述だ。「(前略)その目がね、いつも真っ直ぐなんですよ。そういう目を見てますとね、こっちも全力で何かを信じたくなるんでしょうな」と歌舞伎興行を仕切る会社の社長が語る。その目を吉沢は持っている気がする。『なつぞら』の頃、筆者は彼をカボションカットの宝石に例えたことがあった。カボションカットはなめらかな楕円形で素材そのもののポテンシャルを生かす技法で、シンプルだからこそ強さと求心力がある。何もかもを吸い込んで光として反射するような。まさに、なんにでも化ける俳優・吉沢亮そのもののようなのである。

「表現欲を掻いたらダメなんだなと悟りました。いかに削いでいくかがすごく難しかったです」

『国宝』のパンフレットで吉沢はそう語っている。

「きれい」も「巧さ」も超えて、ひたむきに役になっていく。無心の強さ。それを持つ吉沢が喜久雄という唯一の宝を生み出した。その域に到達するに至るまでに、悪魔に魂を売るような、超越の儀式のような局面を感じさせる屋上の場面が効いている。

 ちなみに、これだけ重厚な映画に出た吉沢の次回作は徹底的にライトなコメディ『ババンババンバンバンパイア』。「久々のコメディでとても楽しく撮影ができました」「豪華俳優陣でくだらないことを全力でやっている、愉快な映画になると思いますので」と吉沢はプレスシートでコメントしている。まさに全力。まっすぐな目で真摯にコメディを追求していて、『国宝』とはまったく違うにもかかわらず、同じように神々しい。それこそが吉沢亮の才であろう。

 なお、『ババンババンバン〜』は本来『国宝』の前に公開予定だったがトラブルによって延期されていた。ともすればネガティブにとられかねないトラブルを、吉沢亮はひたむきな演技によって贖罪に代えたのだ。

次の記事に続く 年下の横浜流星に吉沢亮は「下手したら追い抜かれるぞ」と…10代の時に『仮面ライダー』で初共演→13年後に再会した2人の数奇な“ライバル関係”

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。