おおた 僕は、職業別の労組がまずできて、そこが業種ごとの職務要件のひな形をつくっていったほうがいいんじゃないかって、素人ながらに思うんですけど……。ヨーロッパってそうなってますよね。
勅使川原 たしかに。労組の動きがいま若干隆盛だし。
おおた 日本の場合は企業別労組じゃないですか。そうじゃなくて、企業をまたいだ業種別で。セールスならセールス業界とかね。エンジニアならエンジニア業界とかで、「僕らの価値はこうなんですよ。これくらいのことができたらいくらくらいは必要なんです」とかいうメニュー表を先に示して、それを企業にも飲ませるというようにもっていかないと動かないんじゃないかって思っちゃう。
勅使川原 何かそこは連帯しないですね。「本当に“優秀”なひとは連帯なんか必要はない。弱いから連帯するんだろ」っていう考えは一部のトップ層にはチラホラある。連帯も<弱い・強い>みたいに考える向きが、まだ残っているような気がします。でも、連帯して何が悪いって思いますけどね。そもそも自立したひとって究極的にはいないから。
勝ち抜く能力よりセーフティネット
勅使川原 そういうことがまだ変わっていかない現実の中で、「そりゃあうちの子にも有利になってほしい」って思わざるを得ないですよね。「課金ゲームにうちだけ乗りません」ってできないから。その大きな枠組みをどう変えていくのかっていうのをもう少し伺いたいなぁ。
おおた 学歴社会に飛び込んでいくひとがあとを絶たないから、学歴社会はなくならない。学歴社会がなくならないから、学歴社会に飛び込んでいくひとがあとを絶たない。それを勅使川原さんの本では非常に適切に「卵が先か鶏が先か」って表現しています。
卵が先か鶏が先かわからないような議論には、たぶん、これっていう解決はありえないんですよ。そうしたら、ダーウィンの法則に任せるしかありません。要するに自然淘汰を待つしかない。制度とかしくみの話じゃないんだと思います。
学歴に頼って生きていくひとたちがいてもいいんですよ、ずっと。だけど、そこだけが人間の生きる世界じゃないよねって。学歴フィルターを設けているような企業を、若者たちが「ダサいよね」って言って避けて就職するようなムードをつくって、学歴社会の領域がだんだんだんだん縮小していけばいいのかなって僕は思っていますけれど、いかがでしょうか。
勅使川原 まだ不安だなぁ~。「うちの子には……」って。でも、おおたさんの本に「満たさんキャンプ」ってキーワードが出てきますよね。あれ、好きで。おおたさんが指摘する「体験消費社会」の根っこには「満たしてあげないといけない」という大人の思い込みがあるような気がします。私が満たしてあげないとダメなんじゃないかって思っているところが私にもあるんですけど、それってなんか「愛」っていうよりも、子どもを信じていないってことなのかなって、いまちょっと思った。
