おおた 子育ての不安の構図って大概そうですよね。

勅使川原 ああ、そうなんだ。

おおた 親が心配になる。そうしたら子どもも気づきますよ。「お母さんは僕のことを心配してくれている」。それは愛情だけではなくて「自分は信用されてないんだって」メッセージまで暗に伝えてしまう。もちろんしょうがないですよ。それは親の性だから。どんなにできる子どもだって、親はめちゃめちゃ心配します。

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勅使川原 サピックスのアルファクラスから落ちないかなとかね。

おおた キリがないから。そういう生き物だからしょうがない。だけどそのときに、親を心配にさせている心配の種は子どもじゃなくて、自分の中にあるんですよね。

勅使川原 そうなんです! 親が子どもの生存責任を負わされているような気がするんですよね。個体能力主義的な意味で、将来子どもが生きていけるようにしてあげるのは親の責任だと、やっぱりどこかで思っている……。

おおた 将来を心配して満たしてあげるんじゃなくて、いざ困ったときに手を差し伸べればいいんだと思います。体験格差の話だって、学歴主義の話だって、結局はそこじゃないですか?

©文藝春秋 撮影/鈴木七絵

 知り合いの起業家が、コロナ禍で業績が悪くなって、とうとう親に頼んで会社にお金を入れてもらったと。それを「親のすねかじり」ってバカにすること自体が能力主義的じゃないですか。彼も最後まで親には頼らないぞって気を張ってた。でもそれって、自分の力を証明したいっていう、能力主義の内面化だったなって気づくわけです。

 誰だってうまくいかないこともあるよね。そこで誰かに頼る。それがセーフティネットですよね。たまたま親が頼れるひとだったら頼ればいいし、親戚でもいいし、もし経済的に成功している友達がいるなら、頭を下げて、「ちょっとお金を貸してくれないか? 返せないかもしれないけど……」ってやればいいと思うんですよね。それがものすごい恥であるかのように思わされてしまっていませんかって、社会に問いたい。

 子どもには、勝ち抜く能力を授けることより、セーフティネットにつながることの大切さを伝えたい。「助けて」って言える勇気を見せたい。

勅使川原 それも含めて、「ひとを信じるとはどういうことか?」という話を究極的にはしているのかもしれませんね。杵柄や称号が少ない子どもを、どう信じるのか? 能力主義という昔取った杵柄による信頼度の調整に慣れ過ぎた私たちだからこそ、戸惑っているのかもしれません。その己の未熟さも自覚して、ひととひととの交わりを慈しめたらと思います。おおたさん、深刻な話題ながら、軽やかだけど熱い議論を誠にありがとうございました。

学歴社会は誰のため (PHP新書)

勅使川原 真衣

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