影のある雰囲気と愛嬌ある瞳が『べらぼう』に生きた
横浜はパンフレットで、吉沢の色気に対して、かわいらしさや華やかさを目指したと語っている。確かに、喜久雄とふたり演じた『二人道成寺』における横浜の目線や首のかしげ方などには娘らしい愛らしさがある。空手やボクシングで培われた肩甲骨が岩のようにがっしりして、男くさいイメージもある横浜だが、その一方で、まつげがクルンとカールしていて少女漫画のような瞳を持っている。『正体』の主人公のような影のある役や、舞台『巌流島』(23年)の宮本武蔵のような無双な役と、極端に例えるとキューピーちゃんのようなぱっちりした瞳との、ギャップは魅力のひとつである。
いま放送中の『べらぼう』の蔦重では、その愛嬌ある瞳が生きている。江戸っ子のからっとした明るさを求められる役は、どちらかと言うと影のある役が得手な当人には戸惑いもあったようだ。視聴者的にも、横浜に江戸っ子・蔦重は合うだろうかと懸念する声もあった。だが、様式的な一点の曇りもない明るい演技ではなく、吉原育ちの影も持ちながらからっと振る舞う姿はかえって味わいがある。もしかしたら、天涯孤独で吉原の人たちに拾われて育てられて、最初は影の部分が大きく、次第に本屋として「そうきたか」とまわりを驚かせるアイデアを発揮して、吉原を楽しい場所にしたいという希望と共に明るく粋な人物に成長していく、そんな物語の流れと本人はうまく調和しているのかもしれない。
着物の所作は裾さばきなどがきれいに決まっている。第1話で歌舞伎の見得のようなポーズを、歌舞伎俳優の中村隼人に向かって行うというなかなかの冒険にも意欲を感じる。これは『国宝』からの流れだったのかもしれない。『国宝』では父親役の渡辺謙が『べらぼう』には田沼意次役で出ていて、横浜の大河主演を支えているように見える。数少ない絡みの場面では、渡辺の芝居が横浜の芝居をいい方向に変えていっていると聞く。『国宝』『べらぼう』と連続共演が功を奏しているといえるだろう。
『べらぼう』放送前の取材で、横浜は数分刻みの個別取材をきびきびこなしていたが、勘がいいのか言葉を全部聞かずとも質問の趣旨を理解し的確な回答をした。武道に長けているゆえだろうか。打てば響くという言葉のような非常に気持ちのいい人だった。
『国宝』の俊介は名門の御曹司という恵まれた立場ながら、ライバルの喜久雄に実力の面で引き離され、失意のどん底に突き落とされる。紆余曲折を経て復帰するも、やがて健康に支障をきたすようになる。不自由な足で最後まで舞台に立ち続ける。喜久雄とはまた違った俳優の業を狂おしく物悲しく横浜は演じる。『曽根崎心中』の道行きでの横浜の表情は目に焼き付いて離れない。
吉沢が「いかに削いでいくか」を目指したことに対して、横浜が演じる俊介は御曹司として恵まれた環境で一流のものを享受していたのが、荒波にはまり流れ流れて削られて凹凸ができた石のようだ。横浜・俊介が求めても求めても手の届かない頂きを見上げながら、志半ばで堕ちていく厳しい現実を、悲劇的に演じれば演じるほど、吉沢・喜久雄が孤独な芸の道に邁進していく姿が際立つ。
『国宝』はあくまで吉沢亮が主演であるが、横浜の俊介なくしては、ここまで喜久雄は輝かなかっただろう。
映画ではだいぶ端折られている原作の俊介の物語も見てみたくなった。
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