乗務員や駅員がせっせと植えて、一時は1万株に
しかし、国会図書館デジタルコレクションで文献を調べると、箱根登山電車のあじさいの歴史はもっと古いことがわかった。「運転協会誌1996年6月号」に「昭和11年頃」と紹介されている。運転協会誌は(一社)日本鉄道運転協会が発行する雑誌で、約2万3500人の個人正会員と約230社の法人正会員に届けられる。当該記事は「沿線のあじさいを支える職員」という題で、著者は箱根登山鉄道(当時)鉄道運輸課の小泉照男氏。信憑性が高い。
記事によると、1936(昭和11)年頃から旅客誘致のためにあじさいの植樹が始まったという。当時の鉄道は赤字が続き、それを憂慮した電車乗務員や駅員が明け番を利用して、沿線のあじさいの枝から苗を作って沿線に植えていった。退職した先輩や箱根町などからも寄贈があったという。
車窓から見えるところにあじさいを植え、箱根湯本駅や強羅駅に花壇を作るうちに、電車職員から沿線美化の気運が高まって、1976年に沿線美化委員会が発足した。そこで社費を投じて植樹を継続し、1万株まで増えた。
——あれ、1976年の沿線美化委員会発足は一致しているけれど、あじさいの株は1万株だったとある。ところが、前述の通り現在は7000株と紹介されている。3000株はどこへ消えたのか。
せっかく植えたあじさいが、どんどんと枯れて…
さらに文献を当たると、箱根登山電車のあじさいは順調に増えたわけではなく、社員の絶え間ない努力と困難の克服があった。(財)日本交通公社が発行する雑誌「観光文化」1998年8月号の記事「美しい花作りも鉄道マンの仕事 あじさい1万株を手入れする『美化委員会』――箱根登山鉄道」によれば、1965年頃にあじさいが咲く頃の電車を「あじさい電車」と呼ぶようになったという。
ところがこの頃、線路沿いに温泉を各旅館に供給する木製パイプが腐食したため、塩化ビニール製に交換する必要があった。あじさいの移植作業と同時に配管工事を進めたけれども、残念なことに、あじさいがどんどん枯れていく。
そこで職員たちは、空いた時間を見つけては苗木を植え続けた。雑草を払い、絡んだ蔓を切る。こうした活動が社内に広がって、沿線美化委員会が発足した。せっかく1万株になったのに激減したけれど、沿線美化委員会の人々が頑張ってあじさいを復活させたのだ。2018年の箱根登山鉄道の報道資料「『夜のあじさい号』を6月16日(土)から運転」には、1985年にあじさいの植栽数が約1万株に達したとある。約20年の努力で、沿線のあじさいたちは見事に復活した。
しかし、前述の通りそれが現在では7000株まで減っている。3000株はどこへ行ってしまったのか。





