川沿いをさらに進むも、歩いている人はほとんど見かけない…

 落合橋の交差点を右に曲がって、さらに槻川沿いを東に進む。はじめて通ったように書いているけれど、実際にはつい先ほどバスで通ったばかりの道だ。

 が、歩いて通るのとバスの窓から眺めるのとでは、抱く印象もだいぶ違うものになる。

 

 槻川沿いのこの道は、埼玉県道11号線、熊谷小川秩父線という。何かの抜け道になっているのかどうか、トラックを中心にそれなりの交通量がある。

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 またときおりバイクが数台連なって駆けてゆく。山道のツーリングだろうか。いずれにしても通りすぎるのはクルマかバイク。歩いている人はほとんど見かけない。

 
 

 しばらく同じような風景の中を歩いてゆくと、いくらか開けた場所に出る。槻川を渡る橋の向こうには東秩父村の村役場。そのお隣にJAもあるし、奥には来迎寺という立派なお寺とその墓地も見える。

 コンビニの類いがあるわけでもないけれど、どうやらこのあたりが東秩父村の中心、ということになりそうだ。

 

 来迎寺の前の道を少し入ると、いくつか工場のようなものも並んでいる。

 さらには村立の中学校と大きなグラウンド。山の中に分け入る道の奥には鉱業所もあるらしい。秩父の山の石灰石やら珪石やらを採掘しているのだ。東秩父村、ちょっとした鉱業都市の一面も持っている。

 
 
 

東秩父村、あの蔦重さんに貢献していたのかも?

 さらに東に進んでゆけば、大きな道の駅が見えてくる。駐車場にはたくさんのクルマが停まっていて、梅雨時の平日真っ昼間というのになかなかの盛況ぶりだ。

 この道の駅、「道の駅和紙の里ひがしちちぶ」という。その名の通り中には文化伝習館があって、紙すき体験や東秩父村の伝統工芸・細川紙の見学などもできる。

 

 なんでも、この山間の小さな村では1300年も前から紙すきが行われていたらしい。

 江戸時代に入る頃にはかなりの規模に発展していて、江戸という大都市をバックに相当な和紙の産地のひとつになっていた。玄関口の小川町には紙問屋があって、その問屋を通じて江戸の町に流通していたという。

 東秩父名産の細川紙、丈夫な品質が特徴で、いまでも細々と、でも脈々と受け継がれていて、2014年にはユネスコ無形文化遺産にも登録されている。

 美濃の「本美濃紙」、島根の「石州半紙」とセットで「和紙——日本の手漉和紙技術」としての登録だった。つまり、世界から「代表的な和紙のひとつ」と認められているのだ。

 これはもう、とてつもなく誇るべきものではないか。平日の昼間から観光客がたくさんやってきているのも納得である。

 

「和紙の町」東秩父。単に紙すきをしていただけでなく、ここで生まれた細川紙は古く江戸の町の営みを支えていたし、明治に入っては紙幣に使われたこともあるという。放送中の大河ドラマは江戸時代の出版文化がテーマになっている。細川紙も、陰に陽に蔦重さんに貢献していたのかもしれない。