「アイドルは来訪神である」という見立て
スケザネ 違いが際だっていて興味深いですね(笑)。ところで、今回の往復書簡のハイライトの一つはアイドル論の部分だと思いますが、僕は、もともとは誰かを「推す」という感覚がよくわかりませんでした。他の人が頑張っているのを見て、それが自分の喜びになる、という感覚がいまいち理解できなかった。
でも、今回のやりとりを通じて、なぜ現代社会でみんなアイドルを求めるのか理由が分かった気がします。お手紙のなかで「アイドルは来訪神である」という見立てをしました。嵐や天災のように、自分の意志とは無関係に、避けがたく突然やってきてファーストインプレッションで心を掴んでしまう存在。来ちゃったものはどうしようもない、という感覚に近い気もします。
宮田 私のなかでアイドルとは偶像で、存在しないもの。来訪神はアイドルそのものというよりは、ファンの中に生まれる「ああ、いいな」と思う感情なのかもしれません。
私は自分がアイドルをやっていたからこそ思うんですが、アイドルはファンの方の中にしか存在しないものであって、それはきっと私ではない。だから、アイドルの宮田愛萌は、ファンが心に描くその理想の姿に寄り添う行動をしよう、と思っていました。存在してはいけないけれど、そこに存在しているかのような雰囲気を出したくて(笑)。
スケザネ そのお話を聞いて、今敏監督のアニメ映画『パーフェクトブルー』を思い出しました。1990年代の地下アイドル黎明期を舞台にした作品ですが、あるアイドルオタクが、自分の推しのアイドルの理想像を勝手に作り上げて、本人に成りすましてブログを更新し続けるんですね。「今日は〇〇の新曲の発表でした!」みたいに。ファンのアイドルへの思いが暴走して衝撃的な展開となるのですが、アイドルって人の強い思いの「触媒」になることが確かにある。
そこには神様を信じるような、宗教心に近い心理もあると思っています。
アイドルの宮田愛萌はもう全部ファンにあげた
宮田 わかります。だから私は、アイドルのときの宮田愛萌は、もう全部ファンの人たちにあげてしまった。プレゼントしちゃったから、あとはもう受け取った人の中で自由にしてほしいな、と。そういう意味で、アイドルは存在しないし、「アイドルは神であるべき」と思っています。
神様に祈って、祈ったぶんだけちゃんと返ってきたら嬉しいじゃないですか。だから、たとえば、ファンの方がCDを1枚買って握手券を1枚持ってきてくれたら、その「1」の祈りに対して、私も「1」の愛で平等にお返しする。ファンが願ったぶんだけ、同じ量返ってくる――それがアイドルの作るべき夢の場だと思っていました。
スケザネ すごく面白い考え方ですね!

