「ここまでさびれるとは思わなかった」
お店に出る前に銭湯に入り、お店が終わるともう一度銭湯に入ってから帰る人も多かった。飲み屋のお客さんは手ぶらできて、タオルを買って入っていた。そうした需要が多かったため、銭湯は深夜2時まで営業していた。
当初は毎日250人ぐらいのお客さんが来ていたが、岐阜の繊維産業が衰退すると柳ヶ瀬商店街の人通りも激減し、50人にまで減ってしまった。銭湯の赤字をテナントの賃料で埋める形で営業を続けてきたが、テナントも半分に減ってしまうと、それもできなくなった。そして平成15年11月、120年間続いてきた銭湯の火を落とさざるを得なくなった。
「いい時もあれば悪い時もある。でも、ここまでさびれるとは思わなかった」と稲垣さん。
その後もテナントは貸していたが、半分からさらに減り続けた。15年ほど前には1階のスナック1軒のみとなり、貸しビルとしても赤字になった。稲垣さんも郊外へ転居し、スナックが廃業すると、柳五ビルは完全に使われなくなった。
現在、柳五ビルが再び使われる予定はない。稲垣さんは「正直言うとね、手放したい」と本音を漏らす。
柳ヶ瀬に遊郭ができ、そのお金で岐阜市政が始まり、繊維産業とともに隆盛を極め、そして衰退する。その全てを見てきた柳ヶ瀬浴場には、岐阜の歴史と古き良き銭湯の魅力が詰まっている。
また、柳五ビルには、柳ヶ瀬が良かった時代に営業を終えて、そのまま放置されているテナント跡も多い。ドアを開けば、そこに昭和がある。まるでタイムカプセルのようだ。柳五ビルは使われなくなってしまったが、だからこその魅力といえるだろう。
昨年から、柳五ビルの内部を探索できるガイドツアーが不定期で開催されるようになった。僭越ながら、筆者もガイドを務めている。柳五ビルの現状が良いとは思わないが、ガイドツアーの収益の一部は、商店街の運営費にも充てられている。私は、柳ヶ瀬のこれまで光が当たらなかった部分の魅力を伝え、多くの方に実際に足を運んで頂きたいと思っている。
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