「六本木で2時間3万円」ギャラ飲みで稼ぐ港区女子に…
――レースクイーンをクビになって、他の仕事はあったんですか?
上福 いや、全然仕事がなくて。芸能の仕事だけじゃ生活できないけど、ガッツリしたバイトを入れると急にオーディションが入った時に対応できないじゃないですか。
それで、港区でギャラ飲みするようになりました。知り合いの女の子から「六本木で2時間3万円」みたいな連絡が入ることもあれば、バーで女の子を集めるケースもあって。
――ギャラ飲みにはどんな人がくるんですか?
上福 大手広告代理店の社員、アパレル系の謎にお金を持ってる人、ビットコインで儲けた人……みんなギラギラしていたけど、泡のように消えていきましたね。
芸人を連れ回してブイブイ言わせていた業界人がいたんですけど、2年後にはその業界人も芸人も見なくなって。私は「この空気を吸い続けたらおかしくなる」と思いながら、「でも、生きていかなきゃ」という意識が強かったです。
「水道水を飲んで砂利を食ってるほうがマシ」港区女子時代に“一線”を越えなかった理由
――虚しくなることはありませんでしたか?
上福 虚しくなることはなかったけど、学生時代のように自分なりのボーダーラインを守っていたつもりです。安そうな服を着ているのに、「バッグはシャネル」とか「ネックレスはダミアーニ」みたいな子を見ると、心の中で「一線を越えちゃったか」と思っていました。
一線を越えるのは自分を殺すようなもので、「自分だったら、そういう方法でお金を稼ぐくらいなら、水道水を飲んで砂利を食ってるほうがマシ」と考えてましたから。
――芸能界でどんな仕事をやりたかったんですか?
上福 グラビアをやりたかったんです。ただ、当時の事務所はモデルとかバラエティに強くて、グラビアは弱くて。いま思えば、「業界のつながり」を使って上手く立ち回る人が売れているんですよね。真っ向勝負は無理ゲーでした。
いまはSNSの数字を持っている子が雑誌に出るようになって、いい時代になったと思います。芸能の仕事が向いていないとわかって、どうやって生きていこうかなと悩んでいたところに、プロレスの話が舞い込んできたんです。
撮影=細田忠/文藝春秋
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