1981年、伊藤園は世界で初めて缶入りのウーロン茶飲料を発売したが、当初は「お茶はただ」という考えが強く、売れ行きがあまりよくなかった。しかし、それはしだいに「お茶は家で急須に入れて飲むもの」という常識をくつがえし、糖分やカロリーをとりたくない消費者に人気となり、コーラやコーヒーのように茶も缶で飲むという新しいライフスタイルを生み出した。
伊藤園に続いて、サントリーが1981年に缶入りのウーロン茶飲料を発売し、85年頃までにトップブランドとしての地位を確立した。さらに、1986年4月にはキリンビールがいち早くペットボトル入りのウーロン茶飲料を発売し、翌月にはサントリーも続いた。
なお、缶入りの緑茶飲料は、変色や異臭が生じやすいために製品化が難しく、ウーロン茶より遅れて1984年に伊藤園が発売したのが世界初であった。
酒を飲めない人のためのソフトドリンク
ウーロン茶が日本に定着したもう一つの理由は、酒を飲めない下戸のための飲料として重宝されたことである。早くも1925年、芥川龍之介は、滞在中の伊豆・修善寺から弟子の作家・佐佐木茂索に宛てた手紙で、「新曲 修善寺」と題して「酒のまぬ身のウウロン茶、カフェ、コカコラ、チョコレエト」などと記している。
日本の男性中心のビジネス社会では、酒を飲めないのは情けないこととされていた。サラリーマンは無理しても飲酒に付き合う風潮が根強かった。しかし、1985年頃までに、色がウイスキーに似ているウーロン茶を飲むホステスが現れて、それが接待の場での酒の飲みすぎを警戒するサラリーマンにも広がった。
そして1990年代には、日本のビジネス界も「ウーロン茶と言える社会」へと変わっていった。この頃から、居酒屋で席につくと、酒を飲む人は「とりあえずビール」、酒を飲まない人は「とりあえずウーロン茶」を頼むことが多くなった。
秋元康が名付けた「ウーロン茶世代」
1990年代初頭、放送作家の秋元康は、当時の若者を「ウーロン茶世代」と名づけた。秋元によれば、ウーロン茶はどうしても飲みたいと思って飲む人がおらず、たいていの人が「まあウーロン茶でいいか」という感じで選んでいるという。