〈自分の名前は桐島聡――最期は、本名で迎えたい〉
彼について明らかなのは、死を悟った病室で囁いたわずかな言葉だけであろう。高橋伴明監督はそこから105分の物語を完成させた。
映画『「桐島です」』は、連続企業爆破事件に関わり指名手配された桐島聡を主人公にしている。演じるのは、毎熊克哉さんだ。
「そのニュースを知った時、遠い過去に埋めたものが突然今になって発掘された、そんな感覚を覚えました」
昭和50年。東京・銀座のビルに爆弾を仕掛け爆発させた桐島は爆発物取締罰則違反の容疑者として追われ、姿を消した。街には、屈託なく笑う彼の手配写真だけが残った。
「あの写真は子供の頃から交番などで目にしていて無意識に焼き付いていました。ただ、事件の重みとは逆の、爽やかな学生を想わせる笑顔のギャップが他の指名手配犯とは違う雰囲気を醸していて目を引いていましたよね。それなのに長い間、僕たちと同じような生活圏で暮らしていて気づかれなかったのは不思議です」
桐島について伝えられている情報は限られている。「東アジア反日武装戦線」の活動に共鳴し事件を起こしたこと。逃亡中、少なくとも約40年は神奈川県藤沢市の工務店で働き「内田洋(うちだひろし)」と名乗り生きたこと。なじみの飲食店では皆から「うーやん」と呼ばれ親しまれていたこと――。
「この作品のために僕が知っておくべき情報は、70年代がどういう時代だったのか、だと思いました。彼の人物像については、脚本を頼りに1シーンずつ演じながら掴む、そう考えていました」
代り映えのしない生活を進んで求めるかのように、時の襞に身を潜ませ生きた桐島は、昭和、平成、令和と50年にわたり息を殺し生き続けた。
「この作品は、僕たちの目には“映らなかった”時間の物語です。事件を起こさなければ彼はいま70代の方と同じ時間を送ったはずで、時代遅れをひとり生きていたのかもしれません。でも、20代の頃に社会に対して怒り、とった行動の、その怒りの芽は令和の社会にも変わらずずっと在り続けた。だから彼は桐島聡であることを1日として忘れてはいなかったと思います」
梶原阿貴氏と共同脚本に臨んだ高橋監督は、潜伏の50年にそういう何かを見たのだろう。本作の製作にあたり次のようにコメントしている。
《頭の中で白いガラス玉が砕けた。連赤映画(『光の雨』)のオトシマエをつけろ――と聞こえた。そう、あの時代を共に生きた我々にはその責任があるのだろう。(略)ウソツキ部分はオレが責任を持つ》
世を忍び静かに逝った男の死に私たちは呑まれたといえないか。
まいぐまかつや/1987年生まれ、広島県出身。2016年、主演映画『ケンとカズ』で第71回毎日映画コンクールのスポニチグランプリ新人賞など数多くの映画賞を受賞。以後、テレビ、映画、舞台と幅広く活躍している。公開待機作に映画『時には懺悔を』がある。




