「よかったねぇ、あぁー本当によかった」
片品村を離れたのは、18時を過ぎた頃だった。
「よかったねぇ、あぁー本当によかった」
関越自動車道を東京方面に走らせる帰りの車中で、同乗した三木警部補が珍しく穏やかな表情でつぶやいた。
「そうだな。まだこれからだが、とりあえず、アキオの(事件)は、やれるだろう。その後は分からない」と返すと、
「なぁーに。主任官ならやれるよ。やんなくちゃなんねぇ。俺はついていくから」
実は、令状による強制捜査であれば、取調官を被疑者の現場案内に帯同することは、よほどの素人でない限り避ける。「取調官から強要された、誘導された」という主張をされた場合、取り調べにおける任意性を含めて、疑念を持たれるからである。
それはテンドウさんも三木警部補自身も分かっていた。したがって、これまで島崎の取調官を務めてきた三木警部補を今回帯同することについては、あくまでも「任意の現場案内」であることを前提とした、ギリギリの判断だった。
行田署の捜査幹部が見せた複雑な反応
行田署に到着した私たちを迎えたテンドウさんの最初の言葉は「持って帰るだろうと思ったよ」だった。
期待していた通りだった……という意味もあったのだろう。ただ、私には「持ち帰ってしまったんだぁ」とも聞こえた。経験を積んだ捜査幹部なら当然そう思うはずだ。
そこには複雑な感情があるようにも思えた。横溝鑑識課長から事前に言われたように、発見した時点でいったん現場を閉じ、令状を得た上で正規の手続きを踏み押収すべきだと思っていたかもしれない。
ただ、積雪が多い片品村の山の峠の路肩である。地肌を出した状態で雪が積もれば、再びの検証や捜索までの間、証拠物が現況のまま保存できている確証は持てなかった。それは現場に立った私にしか分からないことだ。
おそらくそのことをテンドウさんも、横溝課長も分かっていたはずだ。ただ、私の本心を言えば、何より、早く行田へ持ち帰ってやりたかった。「帰りたい」……その思いを叶えてやりたい、というより、果たさせてやりたかった。もちろん当初から、出ればそうするつもりだった。
「鑑定に出さなくちゃならないだろ。その前に証拠品は見分するようだ。明日から始めよう。さっそく準備してくれ。あっそうだ、その前に一課長や署長には見せないとな」
テンドウさんの指示で、特命班と待機していた班員たちは休む間もなく、押収品の整理を始めた。
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