菅野は“浪人”でも即戦力評価だった
日本ハムの指名を拒否して東海大に1年残る決断をしていた菅野は、練習することはできても1年間公式戦に出ることはできませんでした。その辺がホンダに残っても試合に出ることができた長野の時と状況が異なっていました。ですので、私の東海大時代の同級生でもある横井人輝監督は、オープン戦で親交の深いチームと対戦した時などには少し長いイニングをお願いして、菅野の投げる機会を作ってもらうようなこともしてくれていました。私が練習やオープン戦でのピッチングを見に行っても、その体つきからもしっかりトレーニングを積んでいることは分かりましたし、ボールも前年と比べて全く遜色ありませんでした。本人も大変だったでしょうが周囲の協力などもあったお陰でしっかり練習もできて、よく状態を維持してくれたと思います。浪人という立場ではありながらも、前年のドラフト時と同じように即戦力として変わらずに評価しました。
「タツ、うちは決めたぞ。1位は菅野でいく」
さすがにこの年は他球団も指名してくることはないだろう。
そう思って迎えたドラフト当日。ドラフト会議が行われるホテルのエレベーターで楽天の星野監督と一緒になった時のことです。星野さんが原監督に向かって「タツ、うちは決めたぞ。1位は菅野でいく」と言ったのです。直ぐに冗談だということは分かりましたが、内心で「勘弁してくださいよ」と思いましたね(笑)。それでも前年の日本ハムの山田さんのこともありましたから、楽天の1位指名が読み上げられるまではちょっと落ち着きませんでした。結局楽天が指名したのは東福岡の左腕、森雄大。他球団からの指名もなく、無事に菅野を単独指名することができました。決まった時は本当にほっとしました。
菅野への指名の挨拶が終わった後、原沢敦球団代表と私の間でこんな会話がありました。
「1年間試合をしていないんだから、プロでも1年目はゆっくりやればいい」
「いえ、1年目からできます。来年からすぐ活躍するために練習をしてきて、大学も協力してくれたのですから」
原監督の菅野に対しての要求も厳しかったですね。菅野もそれにこたえて実際に1年目からよく投げてくれました。

