直木賞作家・朝井リョウさんによるエッセイシリーズ“ゆとり三部作”。
『時をかけるゆとり』『風と共にゆとりぬ』『そして誰もゆとらなくなった』から構成される本シリーズは「頭を空っぽにして読めるエッセイ」として話題を呼び、累計30万部を突破しています。
『そして誰もゆとらなくなった』文庫版の発売を記念して、朝井さんが「読み始めに最適な一本」を各巻からそれぞれセレクトして公開します。
第3弾『そして誰もゆとらなくなった』からは、「空回り戦記~サイン会編~」が選ばれました。以下、朝井さんのコメントです。
「私の人生の幹でもある“空回り”は自己愛ゆえのものだと非常によく伝わる文章だと思います。」
こちらの記事は前編です。
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サイン会で読者に「おもてなし」をする作家たち
サイン会、というものを主催する立場になって十数年が経つ。とはいえ未だに、「サイン会かァ……え、私の!?」と新鮮な驚きに包まれる自分がいる。だって、私が新品の本に名前を書くってそれは……ただの記名では?
特に感染症が流行する前は、読者の方々に長時間並んでいただくということも多かった。私のサイン会の場合、参加者が100名に対し約二時間というペースだったため、後半ともなるとかなりの時間待っていただくことになるわけだ。そんなの、その先にビッグサンダーマウンテンとかがないと割に合わない。感染症の流行後はそもそもサイン会を開催することが難しかったり、行列を避けるため集合時間ごとに整理券の番号を分けたりするようになったので“待ち時間”は減少傾向にあるが、それでも、わざわざ来ていただいちゃって記名ってねえ……おにぎりとかお菓子とか持って帰る? みたいな気持ちにはなるものだ。
きっと他の作家の方々も似たような思いがあるのだろう、何度目かのサイン会のころには、参加者の方々に対して何かしらのおもてなしをする作家もいるという話を聞くようになった。このエッセイでも常連の柚木麻子さんは、(もちろん感染症が流行する前の話だが)手作りのケーキポップを全員に配っていた。なぜそれを知っているかというと、私も普通にイチ読者として並び、手作りケーキポップをゲットしたからである。とてもおいしかったしめちゃくちゃかわいかった。前作の「肛門記」にカメオ出演していただいた羽田圭介さんがサイン会で大量のクッキーを振る舞ったというのも有名な話だ。
よく聞くのは、並んでいる最中に読める限定の配布物である。そのサイン会に参加した人だけが読める掌編等を冊子にして配る作家が多いらしい。確かに、サイン会にまで来てくれるような読者にとって最も嬉しいものは“新作”だろう。なるほどなるほど。
「それは名案だ! 恥も外聞もなくパクろう!」と思った私は、早速幾つかのパターンの配布物を作成し、バラまいてみた。並んでいる最中に聴くのにぴったりの一言付きプレイリストだったり(つんく♂作のファンク縛り)、最近身の回りで起きたミニエピソード集を学級新聞のように手書きでまとめたり。数年はそれで満足していたのだが、私の中にふつふつと、こんな感情が湧き起こり始めた。
何かもうちょっと、準備をしたい。熱烈に、準備をしたい――。
だって、配布物は既に多くの作家が実践していることなのだ。何か別のことをして、「朝井リョウさんのサイン会はまた一味違うなぁ!」と思ってもらいたいではないか――と、相変わらずここが私の空回りの原点である。参加者のためではなく自分の評判のために重ねられる試行錯誤。清々しいほどの自分本位。
