講演会が終わって校長室でお茶を飲んでいる時、私は『ごんぎつね』のことを持ち出し、ああいう意見はよく出るのかと尋ねた。校長の男性は、30年以上の教員経験があり、国語を専門にしていた。彼は次のように語った。

「今日のケースは少々極端でしたが、最近は多かれ少なかれあのような意見が出るのは普通です。教員もそれをわかっているので、先ほどの授業でも班になって話し合わせたのでしょう。それでもああいう回答になってしまったようですが……。残念ながら、似たようなことは、私も他の学校でしばしば経験してきました」

戦地に赴く父親がコスモスを摘んで、「一つだけあげよう」と…

 校長が同じような例として挙げたのが、4年生の国語の教科書に載っている戦争文学の名作『一つの花』(今西祐行)だった。物語の概要を記す。

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 戦時中、どの家も貧しく十分なご飯がなかった。ひもじい生活の中で育った少女ゆみ子は、「一つだけちょうだい」と言うのが口癖になっていた。そう頼めば、何かもらえると思ったのだ。イモ、カボチャの煮つけ、何を求めるにしても、かならず「一つだけ」と付け加えるのを忘れなかった。

 戦争が激しくなり、ついに父親が兵士として戦場へ行くことになった。駅へ見送りに行く途中、ゆみ子は「一つだけ」と言って父親が持っていくはずのおにぎりをみんな食べてしまった。汽車に乗り込む前、ゆみ子はまた「一つだけ」とおにぎりをせがみだす。もうおにぎりは残っていない。父親は不憫に思い、駅構内のゴミ捨て場のようなところに咲くコスモスを摘んで、「一つだけあげよう」と言って渡す。

 10年が過ぎ、戦争が終わって日本に平和な日常が訪れた。父親は戦争から帰ってこなかった。その代わり、ゆみ子の家の周りにはたくさんのコスモスが咲き乱れていた――。

©sora_nus/イメージマート

 校長によれば、この物語を生徒たちに読ませ、父親が駅でコスモスを一輪あげた理由を尋ねると、次のような回答があるという。

「駅で騒いだ罰として、(ゴミ捨て場のようなところに咲く)汚い花をゆみ子に食べさせた」

「このお父さんはお金儲けのためにコスモスを盗んだ。娘にそのコスモスを庭に植えさせて売ればお金になると思ったから」

「こうした子たちの反応は単なる読み違いではない」

 作中には、父親がコスモスを渡した時の心理描写はないが、登場人物の立場に立ち、状況や背景を踏まえれば、行間から父親の気持ちを想像できるだろう。だが、一部の生徒たちはその力がないので、父親の悪意や欲望を描いた作品だと受け取ってしまう。2022年2月8日の朝日新聞朝刊でも、この物語の誤読問題が取り上げられているので、特別な例ではないのだろう。

 校長はつづける。

「学校は学力を育てる場なので、子供たちが誤読をするのは悪いことではありません。そこで教員に正してもらうことで、読解力を高めていけばいい。でも私は、こうした子たちの反応は単なる読み違いではないと考えています。