「腹を撃たれて中身が出ても、突撃していきました」
兵20人が残った爆弾を背負い、敵陣へ突入した。自爆攻撃で相手がひるんだところへ、残り全員が銃剣を手に突撃した。
「兵が腹を撃ち抜かれても、腹が中から出ておっても、突撃していきました」。中隊長が対戦車砲で右手を吹き飛ばされた。彼は残った左手を露木らの方に向けて振った後、銃を口に突っ込み自決した。力尽きる兵が相次いだ。
「その時は、兵なんぞはやっぱり『お母さん』て言いますね。腹なんか撃ち抜かれて『お母さーん』って」
その瞬間だけ声を少し落とし、露木は淡々と、だがつらそうに振り返った。
17日夕方まで、白兵戦は断続的に繰り返された。自動短銃を抱えた敵兵は、左腕を斬り付けられても残りの右腕で撃ってきた。そのため、露木は銃剣でひたすら敵兵の顔を狙った。顔面をやられると、相手は必ず自動小銃を手放して顔を押さえるので効果的だった。
「自分で号令かけて斬ってる。顔、顔って」
数えて、19人目まで斬った記憶があるという。左の脇腹を銃剣で突かれて深手を負ったが、傷口にガーゼを詰め込んで戦闘を続けた。夜襲が得意な日本兵を相手に暗中の乱戦を恐れたのか、約3時間でソ連軍はいったん撤退した。露木はその時点で組織的抵抗を断念した。訓練を続けてきた3人一組によるゲリラ戦の継続を指示し、散り散りに潜行した。露木も、副官の山本、軍医の平田と3人一組になって行動した。
夜が来た。無人なのを確かめ、3人は勝手を知った自分たちの師団の倉庫へ忍び込んで仮眠を取った。だが、敵中行動に慣れきって図太くなり過ぎ、見張りをしなかったのが災いした。ソ連兵に見つかって引っ立てられ、地面に掘られた大きな穴の前に立たされた。




