なぜ旗本の佐野は老中の息子を斬りつけた?
例えば意知に頼まれて佐野家の系図を貸したのに催促しても返却されない。佐野は何か役職に付けてくれるように田沼の用人に依頼し、賄賂(620両)を贈ったのに梨のつぶてだったこと。そうしたことの恨みが重なって佐野は刃傷に及んだともされますが、そのことが記された佐野の口上書は偽(にせ)文書とされており、私怨説もそのまま信じるのも困難です。
他には公憤説もあります。田沼意次・意知親子が権勢をふるい改革を行っていくことを快く思わない人々もおり、佐野もその1人であり、よって意知を殺したというのです。天下のために意知を殺したというのが公憤説です。
意次は老齢であるが、意知はまだ若年なので、いずれ父の意志を継ぎ改革を続けると思われるので、意知を殺したとの見解もあります。しかしこの公憤説も信憑性が高い史料に掲載されているわけではないので、私怨説と同じくそのまま鵜呑(うの)みにすることはできません。
佐野が乱心ではなく、明確な意志を持って意知を狙ったということはほぼ間違いないと思われるのですが、その理由については残念ながら未だ明確でないのです
居合わせた幕臣は罷免、佐野を捕えたのは…
衆人環視の中で起こった刃傷事件だったこともあり、意知の側にいた人にはおとがめや処罰が与えられました。若年寄の太田資愛と酒井忠休には将軍の勘気が伝達され、将軍へのお目通りを禁じられます。意知と共に歩いていたので、事件発生時にしっかりとした対応を取らなかったのではと叱責を受けたということです。
目付の松平恒隆と跡部良久は事件現場に最も近い場所にいたということで罷免されてしまいます。2人よりも遠い場所にいた大目付の松平忠郷が駆け付けて佐野を取り押さえたことが2人にとって災いしました。2人が忠郷よりももっと早く駆けつけて佐野を組み伏せておれば、意知は致命傷を負わず助かったのではと思われたのです。