意知が死ぬと、高騰していた米価が下がった

松平忠郷は70歳という老齢でしたが、佐野を取り押さえたということで高評価となり、200石の加増となっています。

さて徳本寺(東京都台東区)に埋葬された佐野の墓には多くの人々が詣でたと言われています。当時、大飢饉の影響もあり米の値段が高騰、人々は生活に苦しんでいました。ところが(一説によると)刃傷事件の翌日から米の値段が下がり始めたということで、佐野は「神様だ」との認識が生まれ、彼は「世直し大明神」として崇められたのです。一方、田沼意知の葬列には人々は石を投げ付けたとされます。米価の高騰にしっかりとした手を打たない「田沼政治」への不満が爆発したと言えるでしょうか。

参考文献一覧
・藤田覚『田沼意次(ミネルヴァ書房、2007年)
・鈴木由紀子『開国前夜 田沼時代の輝き』(新潮社、2010年)

濱田 浩一郎(はまだ・こういちろう)
歴史研究者
1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。姫路日ノ本短期大学・姫路獨協大学講師・大阪観光大学観光学研究所客員研究員を経て、現在は武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー、日本文藝家協会会員。歴史研究機構代表取締役。著書に『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『超口語訳 方丈記』(彩図社文庫)、『日本人はこうして戦争をしてきた』(青林堂)、『昔とはここまで違う!歴史教科書の新常識』(彩図社)など。近著は『北条義時 鎌倉幕府を乗っ取った武将の真実』(星海社新書)。
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