「それだけはできません。勘弁してください」「シンボルを握ってシゴけ」

 クラスの学級委員長で優等生だったCくんから、執拗ないじめを受けていた2人の少年。エスカレートするいじめから2人の精神はついに限界に。2人が企てた「復讐計画」とは……。我が子を無惨に殺された親、学生時代ひどいイジメに遭った者などが仕返しを果たした国内外の事件を取り上げた新刊『世界で起きた戦慄の復讐劇35』(鉄人社)から一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)

写真はイメージ ©getty

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川で発見された水死体の正体は…

 1984年11月2日朝、大阪市中央区天満橋2丁目を流れる大川で水死体が発見された。遺体は半裸でブリーフ、白の靴下姿。鈍器で頭部を滅多打ちにされていた。ほどなく遺体の身元は同市城東区の大阪産業大学高校(現在の大阪産業大学附属高等学校)に通う1年生Cくん(当時16歳)と判明。

 9日後の11日、大阪府警は遺体発見前日の同月1日にCくんと会う約束をしていたクラスメイトのAとB(同、共に16歳)を逮捕する。被害者を投げ込んだ大川沿いの鉄柵から検出した指紋と掌紋がAのものと同一だったことが決め手となった。

 犯行動機はCくんへの報復。2人は彼から日常的に壮絶ないじめを受けており「解決するには自分たちで殺すしかなかった」と自供した。

 Cくんはクラスの学級委員長で学業優秀、柔道部でも活躍する文武両道の生徒だった。AとBも同じ柔道部で、Cくんとは普段でも一緒にいる仲の良い友人同士で遊び仲間。傍目には少なくともそう見えた。が、実はこの2人、腕っぷしの強いCくんの完全な手下、いわゆるパシリだった。

 いじめが始まったのはAとBが柔道部を辞めた1984年7月。2人が退部したのがよほど気に食わなかったのか、Cくんは周囲に悟られないよう殴る蹴るの暴力を振るうようになった。授業のノートは全て2人に取らせたうえ教室を移動するときは自分の教科書を持たせ、絵の具を顔に塗り、喧嘩の強そうな生徒にわざといちゃもんを付けさせ返り討ちに遭う姿を見て大笑いしていた。

 耐えられなくなったAとBは担任の教師に相談する。が、教師は「C」くんがそんなことをするわけがないだろう」と一笑に付した。担任は彼のことを正義感が強く、クラスの皆を引っ張っていくリーダー格と思い込んでいたのだ。クラスメイトも皆、優秀なCくんの味方で2人の話を信じる者はいなかった。

 ある日、決定的な事件が起きる。