3人の男性から騙し取った総額は約1億5000万円……。2020年代、その特異なキャラクターや狡猾な騙しの手口で世間を賑わせた「頂き女子りりちゃん」。いったい彼女はどんな幼少期を過ごしたのか? 彼女の口から明かされる「父親との関係」とは? フリーランス記者の宇都宮直子氏の新刊『渇愛: 頂き女子りりちゃん』(小学館)より一部抜粋してお届けする。(全3回の1回目/続きを読む)
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りりちゃんの生い立ち
「え? 私の生い立ちが聞きたいんですか?」
「今日は来てくれてありがとうございます」
年が明けた2024年1月4日。ひと月ぶりに会う渡邊被告は、1回目の接見の際のこちらが面食らうようなハイテンションとは打って変わって、かなり落ち着いた印象だった。手をひらひらさせることも、大げさなジェスチャーをすることもなく、表情も穏やかだ。
「今は女の人とたくさん話せるのが楽しいです。同い年の女のコの記者さんがいて、『私もホストに行ってみたい』って言うから『ホストなんて行っちゃだめだよ!』って。私、ホストクラブのこと、今は本当に良くないって思ってるんですね(笑)」と屈託なく話す。
前年12月6日に名古屋地裁で行われた第2回公判では、黒い根元が目立つロングヘアーだった髪の毛は肩につかないくらいのボブに切り揃えられ、公判でかけていたクリアフレームの眼鏡もなし。お気に入りなのか、犬のイラストが描かれたかなり年季の入ったグレーの長袖のスウェットを着ており、話しながら時々、袖先の毛玉を取るしぐさをしていた。
前回の接見を経て私に届いた手紙には、「私は歌舞伎町で成長して強く育った」と書かれていた。しかし、彼女が25年間の人生の大半を過ごしたのは歌舞伎町ではない。私は渡邊被告の“本当”の生い立ちがずっと気にかかっていた。公判では、検察から「被害者を騙すために」「辛い生い立ちで家族とも不仲だとウソをついた」と断罪された。渡邊被告が販売していた「頂き女子」が「おぢ」から金銭を詐取するための“マニュアル”にも、「大事な事前設定」として「家族との不仲を強調すること」と記されている。
事実、渡邊被告から「不仲の親と縁を切るために養育費が必要」と聞いていた被害者は彼女の話を信じ、両親との手切れ金として800万円を渡した。
