「女装を始めたらね、新しい世界が始まったの」

 愛知県を中心に東海地方で絶大な人気を誇る女装家・しおりさんは穏やかな笑みを浮かべてそう話す。女装を始めたのは60代のときだった。

還暦を過ぎて「女装」に目覚めたしおりさん 写真=本人提供、以下同

 それまでも、しおりさんの人生は十分に「波乱万丈」。大学で魚の勉強をした後に修行の場として門を叩いたフランス料理店では、先輩に中卒・高卒が多く「大卒が、何でこんなところに」といじめに遭った。それを跳ねのけ、料理の腕を磨くとバイクで旅に出る。結婚を機に大手食肉加工品メーカーに勤めると、売れっ子営業マンに。

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 ところがその立場にとどまらず、妻が経営する学習塾の講師になったり、創作料理レストランを開業すると「予約の取れない店」として大人気になったり……。そのマルチな経験・才能から、テレビ番組に出演した際についたあだ名は「スーパーヒューマン」だ。

メイクをしたら「自分でもびっくりするぐらいキレイ」だった

 精力的に活動していたしおりさんだが、息子の結婚式という晴れの日に妻から離婚を切り出される憂き目にも遭っている。当時について「まあ、私があまりにも好き勝手やっていたからでしょう」と振り返る。

 久しぶりのひとり暮らしで自分と向き合う時間が増え、元から秘めていたという「女装」への興味が深まり始めていく。そして当時60代だったしおりさんは、母親が亡くなった日に思い切ってピアスの穴を開け、メイクをしたという。

「素顔のままではピアスが合わないので、メイクをしてみたの。そうしたら、自分でもびっくりするぐらいキレイで。それで、もうこうなったら一気に変えよう! と思って服装も変えました」

最初はピアスの穴を開けるところから。その後メイクをすると、自分の姿に驚いたとしおりさんは振り返る

 中途半端が嫌いなしおりさんは、プライベートの時間に限定することなく、塾講師の仕事にも女装して臨んだ。塾生たちからすれば、いきなりの変化である。実際、しおりさんは「塾生は全員辞めるだろう」と考えていた。

「みんな心配して『先生、最近おかしいけど大丈夫かな?』と親御さんに相談していたみたいですが、不思議とひとりも辞めなかった。親御さんたちも優しい言葉をかけてくれました」

「名古屋のドラァグクイーン」ともてはやされるように

 一部の男性から嫌なことを言われることもあったというが、とにかく女性たちの優しさが身に沁みた。クラブに遊びに行くと「名古屋のドラァグクイーン」ともてはやされ、女性限定のお立ち台で踊ることを受け入れてくれたという。

 還暦を過ぎて女装という新たな世界に踏み入れたことについて、しおりさんは次のように話す。

「本当によかったです。こんな楽しい人生が待ってるなんて。私は、死んだらもう生ごみにでも出してっていう人だからね。生きてるうちが花よ。生きてるうちに、ほんとめいっぱい楽しむのよ」

 還暦を過ぎて幕を開けたシンデレラストーリーは、まだまだ続く。


 フレンチシェフに始まり、現在の女装家として活動するまでのしおりさんの「波乱万丈すぎる人生」や、自身が経営する「予約が取れない店」で出しているユニークな料理、本人が明かした家族との関係など詳しいインタビュー全文は、

#1 フレンチシェフ→売れっ子営業→還暦を過ぎて“女装家”に…「名古屋のドラァグクイーン」が振り返る奇妙すぎる人生
#2 「息子の結婚式当日、妻から離婚を言い渡されました」フレンチシェフ→還暦過ぎて“女装家”に…「名古屋のドラァグクイーン」が明かす家族との関係
#3 「女装を始めた日、生徒たちは心配していました」名古屋の“カリスマ塾講師”が還暦を過ぎて「女装」に目覚めた理由

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最初から記事を読む フレンチシェフ→売れっ子営業→還暦を過ぎて“女装家”に…「名古屋のドラァグクイーン」(74歳)が振り返る奇妙すぎる人生