犬の散歩を早めに済ませ、まず本籍のある窓口出張所へ戸籍謄本を取りに行った。
その足で普段なら絶対乗らない首都高を走らせ、霞ヶ関の家庭裁判所へ向かった。
入口の荷物検査を終え案内された民事の窓口へいくとちょうどお昼休憩で職員はおらず、1時から始まる午後の部の整理券が機械で発行された。
私も整理券を手に、お昼がまだなので地下にある食堂へと向かった。
定食を注文し、少し待たされた割に冷たく異常に歯応えがある白身肉を齧りながら、私は携帯を出してLINEを開いた。
昨日からの絶望的な出来事を「聞いてよ」とやりとりしていた、小説家の金原ひとみさんの返信を読むためだ。
金原さんとは知り合って1年ほどになるだろうか。意気投合したのには端的に彼女の人当たりの良さと、お互いの境遇に共感するところが多かったこともある。
私の一連の理不尽を、異常に語彙力の高い女子高生の親友、みたいなテンションで同情し、怒ってくれていた。
「前の前の旦那さんの苗字になるのはダメなの?」
金原さんは少し前に再婚したばかりだ。新しい旦那さんは、金原さんの苗字になることをえらんだ。
「私は正直、夫が妻の苗字に変えた夫婦を羨ましく思っちゃう」
この件で、なかなか妥当な解に至らず疲れてきた私の本音が漏れる。
「彼氏さんも鳥飼さんの前の前の旦那さんの苗字になるっていうのはダメなの?」
いやそれはさすがに変かなって。条件反射のようにそう打とうとした私はスマホを一旦置いた。
異様に固くひんやりした揚げ物を齧りながら、その文字列をもう一度目で追ってみる。
「さすがに変だと思う…」
惰性でそう答えたものの、私の頭の中は金原さんの投げかけにどんどんフォーカスしていった。
それはつまり、今私が裁判所で申し立てしなおしてきた、Oという苗字になるということである。
それは元々は、私の1番目の夫の苗字だ。
昔の夫の苗字に彼が連なるというイメージが、いやそれどうしても変だろ、と突発的に思わせる。
しかし、である。
私が今まさにOという苗字を欲しているのは、そこにもはや最初の夫の影が無いからなんである。あるのは私の生んだひとり息子の苗字がOであるという都合だけだ。
テクニカルに言えば、一度抜けて別の籍に入り、更にまた取得したそのOの名には戸籍上の記載事項がゼロになるはずだった。
