離婚して15年が経とうとしている。長い時間が記憶や感情を風化したのかもしれない。
子供がいるので、学校のことや事故やけが、そして進路など、離婚後は自分たちの私情を挟まず取り組む事柄だけが淡々と積み重なったからかも知れない。
それに加えて、先述した通り、人と人には相性があって、私にとって最初の夫というのはもはや、子の父という理由で長生きして欲しいと願える純粋な生命体となり、一緒にいる事情が消滅しても、これといって負の印象も正の印象も残さないちょっと特殊な相手だった。
だからこそ今の相手と事実婚の場合、私はこの苗字が妥当だと思ったのだし、そこにちょっとでも前々夫に対するロマンチックな感情とかメランコリーがあっては成立し得ない話なのである。
そこさえ彼に理解してもらえたなら、この話は案外無くは無いんじゃないか?
どちらの家にも属さない選択肢
一方がちょっと我慢して苗字を変え、相手の「生まれ」に合わせること。それはどちらにとってもやや理不尽で、これまで結論を先送りにしてきた。
苗字を変えた側だけがあらゆる面倒な手続きを一手に引き受け、その相手の家の中に新参として「お邪魔させてもらいます」プレイが始まり、離婚すればまた同じ手続きを一からやり直す。
それが不条理なばかりに、目の前にどんなに妥当な理由があろうと、すんなり相手の苗字になることを、今の自分が、ではなく過去の自分が経験をもとに総出となって私を戒め、拒ませた。
少なくとも必要な労力が同じ量なら?
どちらの家にも属さない選択肢があるならどうだろうか。
これなら私は結果的にとはいえ、結婚ではからずも相手をその人の家という歴史ごと一方的に受け入れ、合わせてきた自分をこれ以上追い詰めないで済むし、彼氏を同じ目に遭わせているのではないかと思い悩むこともない。
これまでにこんな平等な法律婚をした人はいるのだろうか。
さらに面白いことには、自分達が新しく作る戸籍の傘に、自分達より先住の人間がいないのだ。どちらの家族に新規参入願うわけでもない。当然ながら、この苗字を私が得るとっかかりとしての前々夫は、このあたらしい戸籍を構成するメンバーではないわけだから、これはもう、言うなれば名義貸しのようなものだ。
法律で理不尽を被った私は、法律のルールのもとで、法律がたぶん狙ってるであろう結婚、つまり、
どっちかがどっちかの家(てか大抵女が男の家)にお邪魔させてもらい、先輩家族たちに気に入られるよう上手く我慢などして、(大抵は男の)家を繁盛させるように子をたくさん産んで、国の福祉の力には最大限頼らず済むように老いた親世代の世話などし、そうやってまた家を繋げて行ってね~、という結婚――
とはちがって、誰の役にも立たない、法律側からしたら当てはずれ中の当てはずれ婚、になりそうな気配に、勝利を感じて打ち震えていたのだった。
肉を切らせて骨を断つ、的を射てるのかわからない、そんな言葉が頭を通り過ぎた。