「ぶっそうだったねぇ。アメリカーは女漁りにくる」
「ぶっそうだったねぇ。パンパンもハニー(オンリーの娼婦の意味)もまだそんなにいなかったから、アメリカーは女漁りにくる。特に黒人があばれるんだ。崖の上の馬上(マーウイ)部隊は黒人ばかりだから、夜になるとあそこから、いたずらをしに現われる。
自分たち、初めは恐れていなかったんだが、あいつら急に悪くなったんだよ。それまでは、『黒人は友だちだから、沖縄の土人をかわいがるんだなぁ』って冗談いいながら、仲よくやっていたんだ。それが突然あばれるようになって、わしら鐘たたいてワーワー騒いで追っぱらうしかない。
奥間の女房のシゲコさんがやられた夜のことは、よく憶えとるんだ。つまらん話だけど、わしは後妻をも離縁して、3日目だった。ムシャクシャしておってねぇ。わしはしみじみ、なんで生きて帰ったのかと考えとった。いっそインドネシアで死んでおればよかったと……。そんなとき、ガンガン鐘をたたく音だろ、そりゃ真っ先に飛び出すさ」
屋宜さんが聞いたのは、椎の木に吊るしてある酸素ボンベの音だった。たたいていたのは、比嘉さんという男の人で、屋宜さんの屋敷内にトタン囲いの小屋を建てていた。
この比嘉さんも、とりあえず鐘をたたいているだけで、状況はつかんでいない。それでもあちこちに人だかりで、カンテラの灯りも揃いはじめたころ、松林から奥間政栄さんがふらふらしながら、棒切れを持って下ってきた。
精神的にボロボロになる女性も多かった
聞いてみると、崖下のキビ畑のほうへ逃げこんだらしい。このあたりの地形は、現在の沖縄市役所、消防署のある仲宗根の真下になる。つまり仲宗根が台地になっていて、そこから絶壁があって下に安慶田がひろがる。
屋宜盛永さんがいった「崖の上の馬上部隊」は、仲宗根にあったのである。仲宗根には昔から、馬場があった。占領後、米軍はこの馬場跡に、なぜか黒人兵ばかりの補給部隊をおいた。この補給部隊は、馬とは関係ない。しかし、馬場跡の部隊なので、馬上部隊と呼ぶようになったのである。
拉致されて、だいぶ時間がたっている。へたをすると、そのまま連れ去られてしまうもしれない。2、3日たって生命だけはとりとめて帰ってきても、精神的にボロボロになって、集団のなかに暖かく迎えられることもなく、惨めな生活を送る例はあちこちにある。
このとき、屋宜盛永さんが先頭に立った。シゲコさんの夫・政栄さんを「どなりつけてカツを入れて」、キビ畑のほうへ下りて行った。宮城さんという、やはり軍隊からの引揚者も、勇敢な人だった。「あっちだ、あっちだ」といい交して、見当をつけたあたりに、村人たちは近づいて行った。
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