「ビューンビューン弾丸がかすめるのをくぐって、近づいたんだ」

 事件当時は、自分の居住区域から別のところへ行くにも、通行許可証が必要だった。MPとCPが検問にあたり、夜間外出も禁止されていたのである。

 軍布令の〈安全に反する罪〉には、「24時から日出前1時間までの間、沖縄島上のすべての人は自らの住居又は屋内にいなければならない。ただし夜間通行許可証所持者を除く。違反者は1月以上の懲役、11000円以下の罰金」と夜間通行規定をうたってあった。

 CPはMPに協力して、住民を監視する役目のほうが重く、住民側は傍若無人の米兵から自衛するには、すでに述べているように鐘を鳴らして騒ぐしかなかったのである。

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 キビ畑の中の黒人兵がピストルを発射したのは、包囲網が縮まったからだった。切れぎれにシゲコさんの悲鳴が聞こえて、ピストルを警戒しながらも、屋宜さんを先頭にじりじり迫って行ったのだ。

「ピストルの音を聞いて、みんなサーッとうしろに退がったけど、わしは逃げなんだな。意味のない生命、こんなもの欲しゅうない気持だったから、恐ろしくなかった。ピストルの音がして、シゲコさんの声がせんようになったので、撃たれたんじゃないかと心配になったが、尻ごみすると犯人を逃がすことになる。わしはキビの下を匍匐(ほふく)前進、ビューンビューン弾丸がかすめるのをくぐって、近づいたんだ」

 このとき屋宜さんがいかに勇敢だったかは、ほかの人たちも認める。ビューンビューン弾丸がかすめるのをかいくぐって匍匐前進というのは事実なのだが、すでに現場にはMPも到着しており、犯人にピストルを発射させるために、群衆に石を投げるよう指示した。

キビ畑で包囲された黒人兵は、ピストルを発砲した ©mm/イメージマート

黒人兵は捕まったが、シゲコさんは……

 ピストルを奪われたCPの申告で、弾丸の数はわかっている。小学校4年生だった神里興信さんが「ピストルの音を数えた」というのは、このことをさしている。4発か5発ピストルを撃ったところで、キビ畑にひそんでいた犯人の黒人兵は、MPに捕えられる。

 松林の仮小屋からシゲコさんを拉致して逮捕されるまで、15分くらい(夫の政栄さん)とも、1時間以上(屋宜盛永さん)ともいう。住民の自警活動が功を奏して逮捕にこぎつけたのは、当時きわめて珍しいことだった。

 人びとは、MPに捕えられた後も、なお犯人に投石してうっぷん晴らしをしたが、被害者の奥間シゲコさんはすでに虫の息だったのである。シゲコさんは撃たれていなかったが、ピストルでコメカミのあたりを殴られ、意識不明だった。さっそく戸板に乗せ、中央病院に運んで入院させたが、翌日には息を引き取った。

「内出血で死んだのです。中央病院は胡屋10字路の近くの、野戦病院です。ずっと後になって、死亡のときの書類が必要になったけど、当時は軍の病院ですから、そんなもの、もらえるはずもない。かわいそうに、シゲコはずっと苦しんで、翌朝の8時か9時に死にました」

次の記事に続く 「プッシュ(=性交)、オーケー?」米兵が夜に民家を訪れ、人妻や娘を拉致→被害者が死亡したことも…占領下の沖縄で横行した“許されざる夜遊び”の衝撃

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