「北朝鮮代表でプレーできなくなった」韓国への移籍で北朝鮮のパスポートを返納した理由とは

 南アフリカW杯を終えた後、鄭大世さんはドイツでプレーし、その後、2013年に韓国の水原三星ブルーウィングスに移籍した。この時、彼は北朝鮮のパスポートを返納し、韓国のパスポートに変更した。

 W杯の際、国歌斉唱で涙を流し、その愛国心の深さが見る者の心を打ったが、それから3年あまりで代表引退となった。

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――水原三星ブルーウィングスに移籍した時、なぜ韓国パスポートを取得したのですか。

鄭大世 今振り返ればその頃は、ドイツのケルンで試合に出られなくなっただけでなく、婚約破棄も重なったりして、自暴自棄になって正常な判断ができない状況だったと思います。

 そんな時に、Kリーグへの移籍話が来て、故郷のある韓国のサッカー文化に興味が湧いてきました。正直、韓国でスターになってみたいという気持ちもあったんです。

 安英学さんもKリーグでプレーしてたから問題ないだろうと思い、契約のために渡韓したのですが、プレーできるかどうかわからない状況に直面しました。

 

「北のスパイを送り返せ」「北朝鮮に帰れ」韓国移籍後、現地で批判殺到

――プレーできるかどうかわからない?

鄭大世 当時は李明博(イ・ミョンバク)大統領で南北関係が最悪の時だったので、なおさら北朝鮮パスポートで韓国でプレーすることが難しかったんです。

 ほかにもとても複雑な状況が重なって、僕自身もかなり悩んだのですが、誰にも相談することができず、親にも言えず……。

 ケルンに戻ってまた地獄のような時間を過ごすのも避けたかったので、韓国のパスポートを取ってKリーグでプレーすることを選びました。そして、北朝鮮代表でプレーできなくなりました。

 僕が北朝鮮代表になるために、多大な力添えをしてくれた方達になんの相談も報告もなしに決断してしまって。今考えたら、とんでもないことをしてしまったと、自分自身に愛想が尽きます。

――韓国でプレーした際、韓国の人たちの反応はどうだったのですか。

鄭大世 メディアは僕の期待通り、大歓迎してくれました。空港に着くと、100台を超えるテレビカメラが僕の到着を待ち構えていました。

 その一方で、誹謗中傷がすごかった。国家保安法違反で訴えられたりしましたし、チームには「なんでアカと契約したんだ」「北のスパイを送り返せ」「北朝鮮に帰れ」とか、苦情や非難の電話が殺到しました。クラブもそういう批判とかを恐れて、僕をメディアなどに一切出さなくなりました。