2010年の南アフリカW杯に北朝鮮代表として出場し、Jリーグでも大活躍した元サッカー選手の鄭大世(チョン・テセ)さん(41)。2022年に現役を引退し、現在は韓国と日本を行き来しながらサッカー番組やバラエティ番組などに出演している。
そんな鄭大世さんに、現役引退を考え始めた時期やセカンドキャリア、“借金3億8000万円報道”の真相などを聞いた。(全3回の3回目/1回目から読む)
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引退の覚悟を決めたタイミングでFC町田ゼルビアから2年契約のオファー
――2022年に現役を引退しました。引き際は考えていたのですか。
鄭大世さん(以下、鄭大世) 2020年に清水エスパルスを契約満了になった時、キリよく終わろうかなと思ったんですけど、やっぱり未練もあって。
でもオファーがなかったから、諦めてエージェントに「引退します」と告げるため、覚悟を決めて携帯を手にしたタイミングで、エージェントから「愛媛FCとギラヴァンツ北九州とFC町田ゼルビアからオファーが来ている」と連絡があったんですよ。それで、2年契約の町田を選びました。
――最終的には、町田で引退するんですよね。
鄭大世 引退して振り返ると、反省することが多いですね。町田のポポヴィッチ監督(当時)は自分が求めるプレーを選手に徹底させるタイプで、自由を与えられると活躍する僕には少し合わなかったかなと。それもあって、ベンチスタートが多かったです。
でも2年目は、徹底的に監督の戦術に合わせて主力の座を掴んで、「ここから!」という時に筋肉系の怪我をしてしまって、あまり出場できなくなってしまいました。
「こいつやりやがったわ」と怒り狂ったことも…人間的にも成長できた町田での選手生活
――違うチームを選んだ方が良かった、と思うことも?
鄭大世 町田を選んだことに後悔はないです。ただ一度、町田と北九州が試合をした時、ベンチで座りながら、「自分が来ていたら、試合にも出れただろうし、この順位にはいなかっただろうな……」と思ったことはあります。北九州はその時、降格圏にいて、唯一欠けているポジションがワントップだと感じたんです。
それに、当時の北九州は、清水時代に最高の時間を共にした小林伸二さんが監督だったんですよね。小林さんと挨拶を交わした時には「なんで来なかったんだ」と言われて、北九州に行ってれば清水時代のように輝けたんじゃないか、と想像してしまいました。
でも、町田では人間的に成長をさせてもらったのと、いい人との出会いもあったので、最終的には移籍して良かったと思っています。
――町田では人間的にも成長できた。
鄭大世 開幕4試合で2回イン&アウトさせられて。途中出場、途中交代です。これは屈辱ですよね。「こいつやりやがったわ」と監督に怒り狂って、交代する時にめっちゃ態度にも出したんです。
でも、次の日の練習前にみんなに謝って、練習中ミスして怒鳴られても、笑顔で練習をやっていたら、次の試合でスタメンになって。そういう経験が初めてだったので「なるほど、大事なのはこういうことだったのか」って思ったんです。
当時38歳だったので、気づくのが遅すぎますよね(笑)。遅すぎるけど、それを理解してから引退できたので、良かったなと思います。

