「ホームレス」「青木ヶ原樹海」「ゴミ屋敷」「事故物件」など、明るい世間から目を背けられてきたミステリーゾーンに潜入して記事を書き、注目を集めてきたライターの村田らむ氏。

 多くの単行本を執筆する傍ら、現在はYouTubeチャンネル「村田らむのリアル現場主義!!」でも精力的に活動中。そんならむさんに、3回にわたりインタビュー。3本目は特殊清掃取材やYouTubeでの活動についてうかがいます。(全3回の3回目/最初から読む

村田らむ氏 ©︎文藝春秋

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「腰が埋まるくらいまでモノが積まれてる」ゴミ屋敷を求めて

――ゴミ屋敷の取材はいつ頃から?

村田らむ(以下、らむ) ゴミ屋敷は遅めで40歳くらいからです。当時、編プロに軽く干されたんですよ。昔から編集長が替わると仕事がもらえなくなるっていうのもあって。それでヒマになったし、40代の軸としていいかな? と考えて、ゴミ屋敷の取材を本格的にしてみようかな、と。

 だけど、取材をさせて欲しいっていろいろなところにお願いしても、OKしてくれる会社がなかなかないんですよ。

――何か取材されちゃまずい事情があったりして?

らむ それもあるかもしれないけど、ゴミ屋敷の清掃って元々許可が取りにくい仕事なんです。清掃会社とは違うし、ゴミを運ぶとなると別に許可が必要になるし。そこらへんがごちゃごちゃしてるから、大手の産業にならない。

 だからなかなか取材を受けてくれるところが見つからなかったんだけど、ようやくOKしてくれた会社があったんで、行ってみた。ところがそれが大したゴミ屋敷じゃなかったんです。僕は、ドアを開けたら腰が埋まるくらいまでモノが積まれてる、本当のゴミ屋敷を取材したかったんですけど、まだ床が見えている程度のケースで。

「それは運ですよ」って言われたので「だったら、いいゴミ屋敷に当たるまでバイトさせてくれませんか」ってお願いして。ちゃんとお給料もいただいてしっかり働きました。

©︎文藝春秋

「クーラーは使えないし、窓も開けられない」過酷なゴミ屋敷清掃

――ケガや病気にも気をつけなきゃいけない、危険も伴うお仕事なんですよね。

らむ 皮膚炎とか呼吸器系はありましたけど、重篤な状態にはなりませんでした。まあ肉体労働ですね。マスクもつけるんですけど、苦しいんです。基本的にクーラーは使えないし、ハエが逃げたりするから窓も開けられない。そんな環境で何とか2年間働きながら、ゴミ屋敷で1冊、本を出しました。

 そうこうしているうちに、働いていた会社が特殊清掃(事件・事故・孤独死など、特殊な状況で発生した汚れや臭い、害虫などを専門的な知識や機材を用いて行う清掃)も請け負い始めたんです。だから清掃のバイトはもう辞めてたんだけど、お願いして10件くらい、特殊清掃の現場を取材させてもらいました。

 ちょうど世間では事故物件が話題になり始めていて、大島てるさんと一緒に、僕とまだ無名だった松原タニシさんもトークライブに出るようになりました。