母と祖母に反対されながらも子役デビュー

 そのころ、稽古場で踊る彼女が「小さな豆バレリーナ」としてニュース映画で紹介され、俳優の阪東妻三郎と映画監督の松田定次の目に留まった。「この子を映画で使いたい」とスカウトされ、『獅子の罠』(1950年)で4歳にして子役デビューする。無声映画時代からのスターだった阪東の孫娘役という大抜擢であった。

《体の弱い小さい子を芸能界になんて、と母や祖母は反対したんですが、その頃は父の生死がまだわからない状態で、「明るい話だから」とまわりに押し切られてしまったのが、運のつき(笑)》(『週刊文春』2013年2月28日号)

産経新聞社『サンケイグラフ』1955年6月19日号

 最初の映画では、石井漠夫人がマネージャー代わりとして松島親子に京都の撮影所まで付き添い、ギャラの交渉をしてくれた。その様子を松島の母はまるで人買いでも見るような軽蔑した目で見ていたと、後年になって夫人から聞かされ、母は恐縮したという(前掲、『母と娘の旅路』)。ひょっとすると娘を仕事に出すことへの拒否感が、無意識のうちに態度に表れてしまったのかもしれない。

 それまで母が外へ勤めに出ると、幼い松島は寂しがって日が暮れても家の前で帰りを待ち続け、その晩は必ず熱を出したという。そんな母と娘の関係に、一緒に住む祖母さえも入っていけないものを感じるほどであった。その後、松島が殺到する出演依頼に応えて映画の仕事を続けることになったのも、母が娘といつも一緒にいられるということに抗えなかったからである。以来、母は彼女のマネージャー役を担い、仕事先への送迎のため車の運転免許も取った。

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4歳頃の松島と母(松島トモ子オフィシャルブログ「ライオンの餌」より)

多くの人気作品に抜擢

 子役時代の松島はさまざまな作品に出演し、多忙をきわめる。時代劇の人気シリーズ『鞍馬天狗』では美空ひばりに続く36代目の杉作役に起用され、少年姿がかわいいと大評判をとる。時代劇では『丹下左膳』でも少年のちょび安を演じた。やはり人気シリーズだった三益愛子の“母もの”映画には、代役として出演したところ好評を博し、常連となった。母親役の三益とは親子になりきるため、撮影中だけでなく休み時間もずっと一緒にいるよう指示されたりと厳しい指導を受けたという。

 このほか、人気マンガを実写映画化した江利チエミ主演の『サザエさん』シリーズのワカメ役でもおなじみとなった。ちなみに松島が2006年まで24年にわたって出演した「フジミネラル麦茶」のCMは、それまで出ていた江利が1982年に急逝したため、かつて『サザエさん』で共演していた縁で引き継いだものである。