「口パクでいい」「自分で歌わないとだめ」

 デビュー作『獅子の罠』の松田定次監督にはその後、前後編の二部作となる時代劇『流賊黒馬隊(るぞくこくばたい)』(1952年)で再び少女役で起用された。このとき、劇中で歌唱するシーンがあったが、あとで童謡歌手が歌うから口パクでいいと言われる。これにプライドを傷つけられた彼女は、自分で歌わないとだめだと頑なに言い張り、スタッフもついに折れた。

 もっとも、それまできちんと歌のレッスンを受けたことなどなく、録音では何度もNGを出した。それでも日を改めて再度チャンスを与えられると、今度は演じる少女の気持ちで歌ってみようと決め、実際に泣きながら懸命に歌い、やっとOKが出たのだった。これをきっかけに、作曲家の米山正夫から歌のレッスンを受けるようになり、コロムビアレコードと契約して「村の駅長さん」(1953年)で歌手デビューする。

『松島トモ子大全集』(2010年発売)

「トモ子ちゃんカット」が流行、同年代の女の子の憧れの的に

 松島は雑誌でも引っ張りだこで、月刊誌『少女』では6歳から14歳まで8年ものあいだ毎月、表紙モデルを務めた。いまでもティーンズ誌のモデル出身の俳優やタレントは多いが、その走りといえるかもしれない。同時期にはほかの少女雑誌もこぞって彼女を口絵やグラビア、さらには本文やマンガにまでとりあげた。後ろを刈り上げ、耳の横は上向きにカールした髪型は「トモ子ちゃんカット」と呼ばれ、理髪店では同じ髪型にしてほしいと注文する女の子も多かったようだ。

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表紙を務めた月刊誌『少女』(松島トモ子オフィシャルブログ「ライオンの餌」より)

 女性誌や芸能誌などでも時代を象徴する数多くのスターとともに写真を撮り、誌面を飾った。のちに引退して亡くなるまで表舞台に一切出てこなかった原節子ともグラビアの撮影で一緒になり、長身で態度も堂々としていた原に、日本人離れしたものを感じたという(『週刊朝日』2015年12月20日増刊)。

原節子 ©文藝春秋

 プロレスラーの力道山や横綱の初代若乃花など、スポーツ界のスターとの撮影も少なくなかった。先頃亡くなったミスタージャイアンツこと長嶋茂雄とは、あちらも多忙の身とあって2度訪ねて待ったものの会えず、3度目にして対面できた。このとき、また待つのだろうと予想してペットのヨークシャーテリアを遊び相手に連れて行ったところ、ミスターは猫と思い込み、彼女が犬だと教えても、最後まで猫と言って聞かなかったとか。