尾根から海沿いへは70メートルの高低差が…
車道がある尾根から発射場跡がある海沿いまで、70メートルほどの高低差があるのだ。海に下りてゆく分岐路もあるにはあるが、私有地なため入ってはいけないことを事前に聞いていた。
GPSで現在地と亀ヶ首発射場跡の位置関係を確かめながら、なるべく等高線が密になっていない緩やかな斜面を探した。悪路を何度か往復し、ここだろうというポイントを見つけ、車を降りて歩き始めた。
本格的な藪漕ぎを覚悟していたが、幸いなことに獣道があり、草木をかき分ける程度で済んだ。これで楽に行けると思ったが、現実はそんなに甘くはなかった。しばらく歩いていると、身長を超える草が一面を覆い、道が分からなくなった。
最終的にはGPSを頼りに藪漕ぎしながら斜面を下ることになった。そして、なんとか海に近い平地に出ることができた。下りてきた斜面には、レンガ造りの火薬庫らしき構造物が見える。ここが亀ヶ首発射場跡で間違いないようだ。
海沿いまで歩いて行くと、亀ヶ首発射場跡の案内板と、亀ヶ首戦災殉難諸精霊供養碑が建てられていた。いずれも近年建てられたように見える。
このような藪漕ぎ必須の場所になぜと思ったが、船で運んできて建てたのだろう。まずは供養碑に手を合わせてから、周辺の探索を開始した。
200トンのガントリークレーンがあった石積みの桟橋
まずは海沿いを南に向かって歩いて行くと、トンネルが現れた。このトンネルも軍事施設の一部で、コンクリート巻きの堅牢な造りをしている。トンネルの先は私有地になっているため引き返し、反対の北方向に向かってみる。
再び供養碑の前を通って歩いて行くと、海に向かって石積みの立派な桟橋が残っていた。
呉工廠から物資を船で運んでいたため、その時に使われていたものだ。桟橋上には、レールが敷かれていた跡が残っていた。かつてここには、46センチ砲も吊り上げることができる200トンのガントリークレーンがあった。
レールの跡は地上部にまで続いていて、そこから左右に分かれている。南方向にはトロッコの軌道敷跡もあり、土堤には隧道(トンネル)も掘られている。
かなり大規模な施設であったことがうかがえる。













