「ルールのない」学びの場で高齢者ができること
でも本来遊びというのは、ルールは見つけていくもの、仲間のなかで自然に立ち上がっていくものなんです。
とくに社会的な遊び、人と人とがやり取りする面白い遊びは、ルールが決まっていません。だから、遊ぶルールのない未知の場所に子どもを連れ出さないといけない。遊園地に連れていっても、遊ぶものも遊び方も決まっています。そうではなく、なんにもない所に行く。
川辺に行くのでも、草原に行くのでもいい。最初はなにをしたらいいのかわからなくて子どもが戸惑うかもしれないし、つまらないと言うかもしれない。だけど、そのうちに遊ぶことを自ら見つけ出しますよ。
昆虫を捕まえたり、石をひっくり返して生き物を見つけたり、草でなにかを作ったり、平たい石で「水切り」遊びをしたりしてね。そういうときに大人はサジェスチョンを与えることができます。
「もっと平らな石を投げたほうが飛ぶぜ」「ここに面白い虫が隠れているかもしれないよ」「一緒に草相撲やってみる?」とか、楽しいほうに導くことができる。
自然はルールがないからこそ面白い。毎回同じ場所に行っても条件が変わってくるし、自然が身体にそのまま働きかけてくるから、それに応じるだけで子どもにとって最高の遊びになるんです。自ら発想して、創造的な作業をしていく面白さを子どもたち自身で発見する機会を作るのです。
そんな学びの場で高齢者が果たせる役割は大きい。自然への対処の仕方を知っていますし、とくに戦後の焼け野原からレジリエンス(回復する力)の精神を発揮して、ゼロから立ち上げて行った世代は、ルールがないところで、どうやって変化に対応し、生き延びたらいいのか本能的な知恵をもっています。想定外のことや困難なことが発生しても、そこで諦めずに動く大切さも身体で知っている。
狩猟採集民的な学び場を地域で立ち上げ、高齢者たちが積極的にかかわっていくことで、関係人口が生まれる起点にしていく―そこにこそ日本の活路があるのではないでしょうか。
