ドラマだけではなく、現実でも既に「よくあること」

『ちはやふる-めぐり-』は、『ちはやふる』の主人公・綾瀬千早のような輝く青春から疎外された、コロナ禍世代の少年少女を主人公にした新しいドラマシリーズだ。ドラマ版の榊原真由子プロデューサーは、原作者・末次由紀氏が打ち合わせでもらした「今の時代、青春はエリートだけのものになってしまっている気がする」という言葉にインスパイアされ、原作のメインであった瑞沢高校をあえて相手役に回し、彼らに挑む「青春敗者」の少年少女たちを描いていく。

 その新しい物語の中で嵐莉菜が演じる村田千江莉は、男女の体力差を理由に野球という青春から疎外され、競技かるたに青春の敗者復活戦をかける少女だ。この作品は、劇中で村田千江莉の外見やルーツについて周囲の少年少女が注目したり、彼女のルーツを説明したりする描写に特に物語の比重を置いていない。

 村田千江莉は村田千江莉、ミックスルーツの少女が日本の高校にいるのは特に説明も必要ないほど普通のこととして彼女は登場し、物語の一部として動き始める。村田千江莉が抱えるのは男女の体力差に対する葛藤であり、物語はそこに焦点を絞っていく。

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嵐莉菜が演じる「村田 千江莉」 『ちはやふる-めぐり-』(日テレ)公式サイトより

『マイスモールランド』のように、日本と異なるルーツに焦点を当てる映画の意義ももちろんある。だが『ちはやふる-めぐり-』のように、前提としてすでに日本の少年少女の一人として生きているミックスルーツの少女を描くこともまた、かつて城田優がオーディションで阻まれた「君みたいな子はクラスにいないんだよね」という言葉に対する「もうここにいるじゃん」という答えになっていると思える。

 第3話の中で、嵐莉菜は日本の野球少女として育ってきた村田千江莉の挫折と葛藤を、役のために特訓したピッチングやバッティングのシーンも含め懸命に演じている。もちろんドラマの中で今後彼女のルーツに触れる物語があるかもしれないし、あってもいい。だが、特にそれに触れずに自然に物語の一部として村田千江莉を迎え入れる導入部は、ミックスルーツの少年少女が当たり前になる時代の変化を反映した演出になっていたと思う。

 そしてそれはドラマだけではなく、現実でもそうだ。横浜の街を歩けば女子高生のグループの中にアフリカ系や白人ミックスルーツの少女が同じ制服で歩いている。カードショップではメガネをかけたインド系と思われる少年が、友人の少年たちと談笑している。嵐莉菜が演じる村田千江莉のルーツに特に説明の必要を感じない、「よくあること」として受け入れる視聴者は若い世代ほど多いだろう。

 それは『ちはやふる-めぐり-』という作品が、「君みたいな子はクラスにいないんだよね」と城田優がかつて言われた「壁」をひとつ乗り越えていく瞬間でもある。

 もちろんそれは「日本にはすでに人種的偏見などない」という意味ではない。先日の参議院選挙で、嵐莉菜がかつて『マイスモールランド』で演じたクルド系難民に対する反感は選挙の台風の目のひとつとなってしまった。アメリカではトランプ政権の政策変更に伴い、かつて誇らしげに「多様性」をアピールした大手企業が次々とその宣言を削除するという豹変ぶりを見せている。世論の潮目がどう変わるか、誰にも予測はできない。

 だが実は、『ちはやふる』シリーズには嵐莉菜のずっと前からミックスルーツを明かし、それを隠したことがない俳優がメインに出演している。それは真島太一を演じた野村周平である。

 自分が中国と日本のクォーターであることを何度かテレビ番組で明かしている野村は、神戸の中華街の近くで育ち、中学3年まで中華学校に通っていたこと、ミックスルーツであることに誇りを持っていることも明言している。日本の芸能界で外国ルーツを明かすのは時にSNSで攻撃の標的ともなるリスクだが、野村周平はそこから一歩も引く気を見せない。