2021年12月2日。

 僕は○○県の某駅に降り立っていた。目的は〈鏡〉の受け渡しと、依頼者である村川さんから直接話を聞くためである。

 待ち合わせ場所に指定されたのは、都心部からいくつかの電車を乗り継いで三時間弱の小さな駅だ。改札を抜けて駅前に出ると、平日の昼間ということもあって行き交う人はまばらだった。

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「遅くなってすみません、村川です」

 整えられた頭髪にさわやかな笑顔、グレーのスーツが良く似合う若い男性。聞けばまだ二十代だという村川さんは、若くして社長業を担っているのだそうだ。簡単な挨拶を済ませ二人でタクシーに乗り込むと、村川さんが運転手に行き先を告げる。

「遠かったでしょう? わざわざすみません」

「いえいえ。こちらこそお時間頂きありがとうございます」

 このあとは近場の居酒屋で直接話を聞かせてもらい、鏡を受け取るということになっている。忙しい合間を縫って時間を取ってくれたことに感謝しつつ、僕はなんとなく自身の二十代の頃を思い返していた。

 確かテレビ局に勤めていた頃だろうか。まだ「都市ボーイズ」は組んでおらず、昼夜問わず激務をこなしながら、壊れる寸前の体で若さだけを武器になんとか日々を生き抜いていた。

 当時の仕事が全て嫌な思い出というわけではないし、あの頃のハードな経験は今の僕に大いに役立っている。戻りたいかと問われれば、間違いなくノーと答えるが。

 そんなことを考えているうち、村川さんの行きつけだという居酒屋へ到着した。

 中へ入ると、元々人気のない店なのか分からないが、なんだか酷く閑散としていた。時刻は正午過ぎ。ちょうどランチで賑わう時間帯のはずだが、店内はやけに静かだ。果たしてこれでやっていけているのだろうかと、店の経営状況が心配になるほど客の姿が見当たらない。とはいえ目的は取材なのだから僕にはむしろ都合が良い。店員に案内されるままテーブルに着き、備え付けられたタブレットで適当にソフトドリンクを注文するとさっそく本題に移る。

「―じゃあ改めてお話を伺っても宜しいでしょうか?」

 そう言って僕はテーブルに置いた携帯レコーダーのスイッチを入れた。

 事前に聞いていた通り、村川家は古くから続く豪商と呼ばれるような一族で、広い敷地の一角には大型の蔵を設けており、そこに代々蒐集してきた骨董品を収蔵していた。その中には刀剣や掛け軸など、多岐にわたる品々が眠っていたそうだ。蔵は明治時代に一度補修されたきりで、家族であってもほとんど足を踏み入れることはなかったという。

「その蔵から見つかったのが、この鏡です」

 村川さんが脇に置いたバッグから白い布で包んだ物を取り出し、ごとりとテーブルに置いた。

 

 形状からそれが手鏡であることが分かった。白いタオルでくるまれた上からガムテープが無造作にぐるぐると巻かれている。まるで引っ越しの荷物に紛れて段ボールに放り込まれた日用品のような扱いである。拍子抜け、とは失礼な言い方になってしまうが、簡素なタオルとガムテープで包まれたそれからは禍々しさも、不吉な予感も特に感じない。

 村川さんが鏡を見つけたのは、老朽化した蔵を取り壊すことが決まったときのことだ。

 その日、村川さんは蔵に置いてある家紋の入った着物類の保管場所を移すために、一人で蔵へ向かった。古びた錠を外して鉄の扉を押すと、隙間から黴臭い空気が漏れだし、吹き込んだ外気で埃が舞い上がる。それを吸い込まないようにタオルで口を押さえながら足を踏み入れると、二十畳ほどのスペースに乱雑に並べられた品々が村川さんを迎え入れた。

 そのほとんどは価値の低いガラクタ同然のはずだが、相当な物量である。希少価値の高い骨董品が交じっている可能性もゼロではない。処分するにしても、やはり一度専門業者に依頼し、きちんと選別を行うべきだろうか。

 蔵の奥に足を進め、突き当りにある木製棚の上段にある木箱に手を伸ばす。確か着物類はここに入っているはずだ。棚から木箱を下ろし、足元へ置いて蓋を外すと、折り畳まれた着物の柄が覗いた。一番上の生地を少し広げてみる。長年放置していた割に状態はさほど悪くなさそうに見える。

 丁寧に生地を戻し、木箱を抱えて蔵を出ようと腰を上げたとき、折り畳まれた着物の隙間から何かがごろりと床に滑り落ちた。

 古びた手鏡だった。背面に刻まれた鶴と松の文様が天を向いている。

「そのとき思い出したんです」

 一族に伝わる、〈覗くと死ぬ鏡〉―。

 そこまでを話した村川さんがコップの水を一気に飲み干すと、すぐに店員が給仕に来た。トクトクと水がコップに注がれる間、僕らはテーブル中央に置かれたタオルに包まれたままの鏡をじっと見つめていた。やがて店員が声の届かない距離まで離れたことを確認してから話を再開する。

「鏡には何か映っていたんでしょうか?」

「分かりません。見てないんです。ちょうど鏡面が下を向いて落ちたので……」

 しかし村川さんには、これこそが一族に伝わっている〈覗くと死ぬ鏡〉であるということが直感で理解できた。

「そもそも鏡が蔵で見つかるなんてあり得ないんです」

 村川さんがボソリと呟く。

「十二年前にお祖父さんが亡くなったとき、鏡の所在も分からなくなったと仰っていましたよね」

「はい。祖父が蔵で鏡を見つけてすぐあんな死に方をしたからか、とにかく鏡のことが怖くなっちゃって。どうにかしなくちゃいけないと思って、葬式のあと家族で家中探したんです。もちろん蔵の中も……でも、どこにも見当たらなくて」

「あんな死に方? お祖父さんが亡くなったときの状況って聞いても良いですか?」