十二年前のその日、祖父は祖母と共に不要品を処分するために蔵へ踏み入っていた。祖母は入り口付近にある棚の整理を行い、祖父は蔵の奥にある大型の骨董品が並ぶ区画で作業を進めていた。しばらくすると、突然蔵の奥から「ああぁ!」という祖父の声が響いた。

 何事かと祖母が視線を向けると、奥から祖父が中腰の姿勢で何かを腹に抱えるようにして入り口へ向かってくる。薄暗い中でもはっきりと分かるほど顔は青ざめ、初夏であるというのに体は小刻みに震えているように見えた。

「なんね? 大丈夫?」

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 窓のない蔵の中で体調でも崩したのかと祖母が声を掛けるが、祖父は何も答えずブツブツと何かを呟きながら蔵を出ていく。その足で自室へ向かい、祖父はそのまま部屋に籠ってしまった。心配する祖母に対し、ドアの向こうから祖父が弱々しい声で告げる。

「鏡を見つけた」

 心なしか声も震えていて、扉を隔てていても酷く狼狽した祖父の姿が感じ取れた。

「すまん。もう駄目だ。あとのことは頼む。本当にすまん」

 そんなことを祖父はうわ言のように繰り返していた。

 この一件から、快活で人付き合いが多かった祖父は人が変わったように自室に閉じ籠るようになり、家族の前にも一切姿を見せなくなった。鏡についていくら訊ねてみても、扉越しに曖昧な返事と謝罪を繰り返すばかりで、解決には至らなかった。

 祖父が鏡を見つけた日から六日後。村川さんは突然警察から電話で連絡を受けた。

『―○○さんが遺体で見つかりました』

 その日、祖父は家族の誰にも気づかれないまま外出していた。祖父の車は近隣の以前よく利用していたゴルフ場の駐車場で見つかり、運転席に座ったまま亡くなっていた。

 事件性はなく自殺として処理されたそうだが、部屋から一切出てこなかった祖父がなぜ突然ゴルフ場に向かったのか、なぜ駐車場で亡くなっていたのかは誰にも分からなかった。

 しかし村川さんには一連の出来事が「鏡」を起点にして起こっている、という確信めいた思いがあった。祖父が蔵で見つけたのは一族に伝わる〈覗くと死ぬ鏡〉。祖父はそれを覗いてしまい、そこに祖父以外の誰かが映り込んでいたのではないだろうか―。

「父親とは、『蔵の解体のついでにいっそ鏡も埋めちまおう』って」

 村川さんがテーブルに置かれた鏡に視線を落とす。

「でも、もしまた鏡が戻ってきたらって考えると……怖いんです」

 気づけば、がらがらだった店内の席は多くの客で埋まっていた。外はいつの間にか夕暮れに変わり、窓から射し込んだ夕日が鏡の置かれたテーブルを橙色に染めている。

「はやせさんに買い取って頂けるなら僕も安心なんです」

 村川さんの指先がタオルにくるまれた鏡に触れる。

「もらって欲しい」ではなく、「買い取って欲しい」という村川さんの提案には理由があった。気休めかもしれませんが、と村川さんは言う。買い取るということはそこに金銭のやり取りが発生する。そうすれば〈正式に所有権を受け渡す〉というある種の契約を結ぶことになるからだという。とはいえ村川さんから提示された金額は決して高額なわけではない。せいぜいこの店の飲食代程度である。あくまで形式上、譲渡契約を結ぼうという話だ。

「もちろん買い取らせて頂きますよ」

 そう告げると村川さんの表情がいくらか和らいだ。

「ありがとうございます。あの……これは僕の推測なんですけど……。もしかすると、鏡をうちの蔵に持ち込んだのって、他所の人間なんじゃないかって思うんです。一族じゃない誰か。その誰かは恐らく僕の一族に恨みを持った人間なんじゃないかって。時期は分からないけれど、誰かが鏡を蔵に忍び込ませた、もしくは一族の人間に上手く渡したか……」

 重大な秘密を打ち明けるように村川さんが声を潜める。

 一族に恨みを持った人間―。

 確かにあり得ない話ではないのかもしれないが、村川家が周囲からそこまで恨みを買っていた理由が見当たらない。

 僕の疑問を見透かしたかのように村川さんが続ける。

「うちが江戸時代に今の土地に来て商売を始めたって話はしましたよね。当時は相当グレーな商売にも手を出していたそうで、それが原因で周辺の商人の食い扶持を奪う形になったって聞いたことがあります。想像するに周囲からはかなり疎まれていたのではないかと」

「つまり、村川家周辺には一族に恨みを持った人間も少なからずいたと―」

「そうです。うちはこの辺りの年寄りに良く思われていないって父に聞いたことがあります。表面上は仲良くやってますけど。『裏じゃ未だに恨まれてるんだ』って。うちは地域内でもそれなりに発言力があるもんで、表立っては誰も言ってはこないですけど。そもそもこの鏡自体、いつからうちにあるのか一切不明らしいんです」

 村川さんが言わんとしていることは分かる。ようするに鏡は村川家に恨みを持つ周囲の住民によって呪いをかけられたあと持ち込まれた。

 家長を殺し、一族を根絶やしにするために―。

 この仮説が正しいとすれば、村川家の中でも家長のみをターゲットにした呪いである理由にも納得はできる。しかし僕には一つだけ疑問が残っていた。この鏡が本当に人を呪い殺すための呪物だとして、果たしてその効力は村川家の家長にのみ作用するのだろうか?

 試す方法はここにある。

 僕自身である。

ヤバい実家

はやせ やすひろ ,クダマツ ヒロシ

文藝春秋

2025年8月22日 発売

次の記事に続く 何人も死に追いやった"呪いの鏡"。テレビの生放送で公開すると……呪物コレクター・はやせやすひろの実体験