半藤 なるほど。本来、参謀は連絡調整のために各部隊に派遣されるわけですよね。

黒野 そうです。ただ日本とプロシアとの大きな違いは、人事権を握っていたのが誰かという点です。プロシアでは国王直轄の陸軍内局という組織が主要な指揮官と参謀の人事権を両方とも持っていた。すなわち国王が統帥していたわけです。ところが日本では参謀総長が各参謀の人事権を握っていた。だから参謀本部の力が極端に強い。昭和十一年の陸軍省の改革で、はじめて幕僚の人事権を陸軍大臣に移すのですが、それはあくまで制度上のことで、実質的には参謀総長が人事権をにぎって放さなかった。

戸部 でも黒野さん、制度的には可能かもしれませんが、辻以外はあれほどの独断専行はしていませんよ。なぜ彼だけがやったのでしょう。

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独断専行の系譜

黒野 やはり性格的な問題が大きいでしょうが、普通の参謀は本来の連絡調整の域にとどまっているわけです。でも制度的には参謀による現地司令部の統括も可能だった。石原莞爾が満州事変のときに暴走して事態を拡大したのも同じ構造です。

半藤 他にもいますよ。先ほど話に出た朝枝です。終戦時に作戦課の参謀だった朝枝は、戦争に負けると独断ですぐに大本営派遣参謀として満州の関東軍へ飛び、七三一細菌部隊の証拠隠滅工作をしたというのです。彼はそのままそこでソ連軍に捕まった。

 私が「そんなこと勝手にできるのですか」と聞いたら、「大本営参謀、派遣参謀というのはすごい力を持っているんだ。関東軍司令官が何を言おうが指揮できる」と言い、「あの七三一部隊の後始末をしたのは俺なんだ」とハッキリ言ってました。

黒野 参謀総長の名代ということもできますから。

戸部 それでいて幕僚ですから、責任はとらないのですよね。

半藤 ムダな公共事業で財政を破綻させた今の官僚といっしょですな。責任は政治家に押しつけて、自分たちは責任なしなんですよ。

黒野 そうです。責任は指揮官がとらされる。最終的に同意したのですから仕方ないのでしょうが。しかしこの制度上の弊は、少なくとも山縣が死んだあとに改革しなければいけませんでしたね。陸軍という日本型組織がもつ明治以来の宿痾(しゆくあ)とも言えます。

能吏だがトップには向いていなかった東條英機 ©時事通信社

戸部 たしかにエリート参謀たちの、指揮官を差し置いての下克上は問題です。しかし彼らの独断専行を許したトップは何をしていたのでしょうか。黒野さんが言うように少なくとも参謀総長は参謀本部や各司令部の参謀たちを統括する権限を持っていた。そうした責任ある立場の人たちが何もしなかったのか、あるいは出来なかったのか。