半藤 いやいや、ピストルです。自決したあとに副官が夫人に電話で報告したら、「間違いないでしょうね」と、疑った。「間違いありません」と言ったら、夫人は安心して、自分も直後に胸を突いて亡くなったそうです。
「能力のない人を上に持っていくのでは」
福田 その杉山元の前の参謀総長は閑院宮です。皇族がトップを務めていた、という問題もありますね。
戸部 どうして皇族を参謀総長にしたのでしょうね。
福田 参謀総長は名誉職ではありません。閑院宮は非常に立派な軍歴を持っている。海軍で軍令部総長だった伏見宮も同じで、二人ともただのお飾りではなかった。
半藤 伏見宮などは日露戦争で戦傷まで負っています。逆に、だからちょっと困ってしまうわけです。お飾りのはずだけど、お飾りではない。
黒野 海軍との対抗上、宮様を参謀総長にいただいて、実質的には総長の仕事を次長がやる。となると本来、次長のやるべき仕事を部長連中がやる。そうした慣例ができてしまい、権限がどんどん下の人間に移ってしまった。それが下克上の風につながった面もあるように思います。
戸部 上の人に能力を発揮されると困るから、能力のない人を上に持っていくのではないですか。
半藤 その通りです。杉山元にいたっては「近ごろの若いやつはみんなよく勉強しているから、俺たちは出なくていいんだ」とまで開き直っていたそうです。こんなこと他の国ではありえませんよ。まあ現在も中央官庁では次官や局長ではなく、課長補佐あたりが実権をにぎっているから、日本の組織にはありがちな現象なのかもしれません。
戸部 たしかにそうした傾向は日本特有のものかもしれません。英国の戦争指導について書かれた『チャーチルの将軍たち』という本を読むと、そこに登場するのは元帥とか、大将、中将ばかりです。たまに少将や准将が出てくる程度。そうした人たちがいかにチャーチルと丁々発止とやりあいながら戦争を遂行したかというものです。書名から言って、当然かもしれませんが、佐官クラスなど登場しません。
ところが日本で作戦とか戦争指導といえば、先ほどの服部卓四郎大佐とか、辻政信大佐の名前が挙がる。時にはもっと若い瀬島龍三(せじまりゆうぞう)中佐(44期)の名前があがることもある。これは異常ですよ。
作戦部の“優等生”だった瀬島龍三
半藤 瀬島さんは作戦部に在籍した人のなかでは、ほぼ唯一、存命の人ではないでしょうか。
保阪 私は『瀬島龍三 参謀の昭和史』で彼の足跡を追いましたが、幼年学校や士官学校の同期生によると、瀬島は寡黙で読書ばかりしていたそうです。陸大は首席卒業で、天皇を前に講演する御前講演の栄に浴しています。



