半藤 そして参謀本部作戦部作戦課に配属された。ここで服部や辻などと机を並べていたのですから、彼らが果たした役割について話してくれると、あの戦争の裏面を解明することができると思うのですが、一切しゃべりませんね。
瀬島もそうですが、作戦部は陸大の優等生ばかりがいる奥の院なんです。この「優等生」というのは何を意味するのかといえば、あまり余計なことを言わないで、力のある人間にお任せ。自分たちはそれに乗るだけという人たちのことです。
保阪 作戦部は三宅坂の参謀本部二階にありましたが、ドアの前には常に衛兵が二人立っていて、作戦部員以外は入れなかったといいます。情報部の人間も入れなかったと聞きました。
これは戦後にわかったことですが、作戦部の参謀たちは完全な縦割りで、自分の担当以外は何も知らない。タコツボみたいな組織になっていたようです。部員たちは自分たちが立案した作戦について都合のよい情報だけに目を向けて、都合の悪い情報は無視していたといいます。正しい情勢分析など望みようもなかった。自分たちの願望だけで戦争指導を行っているわけですから、組織的に退廃していたと言われても仕方ありません。
半藤 私が聞いた範囲では、インパール作戦を視察してきた情報部の参謀が「戦況が悪いから退却したほうがいい」と具申したところ、瀬島が「余計なこと言うな。お前なんかが言う筋合いではない」と怒鳴ったというのですよ。つまり「お前は奥の院のものにあらず」ということです。
それぐらい奥の院の人たちはのぼせ上がっていた。周囲の声や情報を聞かず、自分だけが正しいと思い込んでいたのです。
エリートたちは都合の悪い情報を無視し続けた
保阪 陸軍だけではなくそれは、海軍でも似たような状況だったようですね。軍令部にいた実松譲(さねまつゆずる)大佐に聞いた話ですが、軍令部総長だったときの嶋田繁太郎に悪い情報を持っていくと、「こんな情報を持ってくるな」と、報告の書類を投げつけられたそうです。
黒野 私は陸上自衛隊で情報の仕事に携わっていたことがありますが、似たようなことがありましたよ。国家戦略に関係する情報を上げたら、昔でいえば作戦部にあたる人間が、「こんな情報を上げてこられても、俺たちは何もできないじゃないか。こんなの出すな」と、怒鳴りこんできたことがありました。いまの自衛隊には何も権限がありませんから対応の仕様がないので、怒るのも無理からぬところがあるのですが、でも対応に困るような情報を上げるな、という言い草には参りました。
保阪 ああ、今でもあるんですね。聞きたくないことは聞かないし、見たくないことは見ないという。これも日本型エリートの問題でしょうか。



